無言歌

監督

監督・脚本:ワン・ビン(王 兵)WANG BING

1967年11月17日、中国陝西省西安生まれ。
魯迅美術学院で写真を専攻した後、北京電影学院映像学科に入学。1998年から映画映像作家としての仕事を始め、インディペンデントの長編劇映画『偏差』で撮影を担当。その後、9時間を超えるドキュメンタリー『鉄西区』を監督。同作品は山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞はじめリスボン、マルセイユの国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭などで最高賞を獲得するなど国際的に高い評価を受けた。続いて、「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴―中国の記憶』で2度目の山形国際ドキュメンタリー映画祭大賞を獲得。本作は初の長編劇映画となりベネチア国際映画祭で大絶賛された。

■フィルモグラフィー

*邦題(日本語訳題)、中国語原題、英語題の順に表記

鉄西区(鉄西区)WEST OF TRACKS
[3部構成 545分]1999 - 2003

   Part 1:工場 RUST(240分)
   Part 2:街 REMNANTS(175分)
   Part 3:鉄路 RAILS(130分)

山形国際ドキュメンタリー映画祭2003大賞
2002 リスボン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ
2003 マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ
2003 ナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門最高賞

鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶(和鳳鳴)FENGMING, A CHINESE MEMOIR
[183分]2007

2007 カンヌ国際映画祭出品
山形国際ドキュメンタリー映画祭2007大賞

暴虐工廠(暴力工廠)BRUTALITY FACTORY
[15分]2007

6人の監督によるオムニバス『世界の現状』STATE OF THE WORLD[101分]の1編。
他の監督は、ペドロ・コスタ、シャンタル・アケルマン、アイーシャ・アブラハム、ヴィセンテ・フェラス、アピチャッポン・ウィーラセタクン。

2007 カンヌ国際映画祭監督週間公式出品

原油(原油)CRUDE OIL
[840分]2008

2008 ロッテルダム国際映画祭出品
2008 香港国際映画祭出品
2008 トロント国際映画祭出品

石炭、金(煤炭,銭)COAL MONEY
[53分]2009

2009 シネマ・ドゥ・リール国際映画祭出品

名前のない男(無名者)MAN WITH NO NAME
[96分]2009

2010 サン・ドニ映画祭出品

無言歌(夾辺溝)THE DITCH
[109分]2010

2010 ベネチア国際映画祭コンペ部門公式出品
   SURPRISE FILM
2010 東京フィルメックス招待作品
2010 トロント国際映画祭公式出品
2011 ラスパルマス国際映画祭
   観客賞・特別審査員賞・カトリック映画賞

『無言歌』はおそらく初めて、「反右派闘争」という現代中国の政治的な過去と、 右派とされた人々の収容所における苦難を真正面から語った映画です。 苦しみ傷ついた人々に尊厳をふたたび取り戻すために。 ワン・ビン(王 兵)監督 2010年ベネチアにて

●ワン・ビン監督、『無言歌』までの歩み

市山尚三(東京フィルメックス プログラム・ディレクター)

ワン・ビンの名が世界に最初に知られたのは、2002年2月に開催されたベルリン映画祭フォーラム部門であった。『鉄西区』と題された無名の中国人監督による上映時間5時間のドキュメンタリーは、まだ完成途上の状態ながら、多くの人々の口にのぼる映画となった。そして、ワン・ビンの評価は、翌2003年1月のロッテルダム映画祭で上映時間9時間を超える『鉄西区』の完全版が上映されたことにより決定的になった。その後、『鉄西区』はマルセイユ、山形、ナントなど数々の映画祭で受賞。それから間もなく、ワン・ビンが劇映画を監督しようとしているという噂が中国のインディペンデント映画界でささやかれるようになった。

ワン・ビンは自らの劇映画デビュー作のために幾つかの企画を用意していたといわれるが、その中でもとりわけ注目を集めたのが『黒鉄的日子(Black Iron Days)』と題された企画である。『鉄西区』が世界の映画祭を席巻した翌年の2004年、ワン・ビンはカンヌ映画祭が主宰するワークショップ「シネフォンダシオン・レジダンス」の参加者に選ばれる。これは、将来有望な若手監督たちを世界から募集し、選考を通過した数名の監督たちを半年間パリに滞在させ、その間にフランスの映画監督やプロデューサーの指導のもと、脚本を執筆させるというものである。このワークショップの成果として、ワン・ビンは『黒鉄的日子』の脚本を執筆。この時点での脚本がどの程度『無言歌』と共通しているかどうかは不明だが、当時の資料を読む限りでは、反右派闘争の時代に労働キャンプに送られた複数の知識人たちを主人公とする群像ドラマという枠組はこの時に既にできていたようだ。

場面写真

フランスで発売された『鉄西区』のDVDが予想を上回る売り上げをあげていたこともあり、とりわけフランスのプロデューサーたちがこの企画に強い関心を示し、某大手の製作配給会社が全額出資を約束した、との噂も流れた。だが、この時点では撮影開始には至らず、企画はいったん中断される。その理由には幾つかの要因があると思われるが、一つには、全く何もないゴビ砂漠に労働キャンプのセットを建設する必要があるため、当時の中国のインディペンデント映画にしては高額な製作費がネックになったという可能性が考えられる。また、この頃はヨーロッパにおける芸術映画の市場が急速に厳しくなっていった時期でもあり、当初は製作出資を申し出た会社がその後のヨーロッパの状況を見て尻込みをしたという可能性もあるだろう。

だが、このような厳しい状況に直面しても創作活動を続けるところがワン・ビンの凄いところだ。2007年のカンヌ映画祭では2本の監督作品が上映された。1本は長編ドキュメンタリー映画『鳳鳴-中国の記憶』、もう1本は6人の監督によるオムニバス映画『世界の現状』の一篇として作られた短篇劇映画『暴虐工廠』である。この2本はいずれも後に作られる『無言歌』と密接なつながりを持っている。長編劇映画の製作が暗礁に乗り上げている間、それと対をなすとも言えるドキュメンタリー映画、そしてある意味その習作とも言える短篇映画を撮り、その双方がカンヌ映画祭に選ばれるというワン・ビンの力量たるや、恐るべきである。

この2作品がカンヌ映画祭で注目を集めたこともあってか、再び『黒鉄的日子』の資金調達が動き始める。ただし、その後の展開も一筋縄ではゆかず、実際に十分な資金が集まり、撮影が開始されたのは2008年の秋であった。だが、ワン・ビンの旺盛な創作意欲はその間も衰えを見せることなく、ゴビ砂漠の油田で働く人々をとらえた上映時間14時間にも及ぶ『原油』、洞穴で暮らすホームレスの男を追った『名前のない男』など、様々な点で『無言歌』とのつながりをうかがわせる興味深い作品が『無言歌』の前に発表されている。かくして完成した『無言歌』が紛れもなく中国インディペンデント映画の金字塔であることは言うまでもないが、その製作の紆余曲折の中で生み出されていった様々な作品群もまた、ワン・ビンの驚くべき才能を証明している。キャリアの上で一つの大きな区切りに達したワン・ビンが次にどこへ行くのか、興味は尽きない。