恐いほどの静寂のなか、
「死」がゆっくりと王の全身を覆う。
美と醜の濃い匂いがした。
栗山 民也(演出家)
太陽王の体内に引き込まれた。
これほど繊細で大胆な身体描写を
私は観たことがない。
森山 開次(ダンサー・振付師)
権力者の悲惨な最期か、
それとも哀れな老人の静かな死か、
それは観る者に委ねられる。
白井 晃(演出家・俳優)
凄いものを観た。
その時その場所その死に、
たしかに立ち会っていた記憶を
濃密に得た。
寺田 克也(マンガ家)
王という一体の生き物の死にゆく様を見つめるこの映画の眼差しは、
人の生の社会的な意味だとか価値といったものには、
まるで重きを置いてない。
世界を裸にするようなその真摯で稀有な眼差しに、
息を呑んだ。
岡田 利規(演劇作家・小説家・チェルフィッチュ主宰)
ストローブ・ユイレの遠い残響、ティントレットの絵画が動き出す。
ただ腐敗し終わりに向かっていくのをみることしかできない私たち。
これは現代という時間のメタファーかもしれない。
とか書くことも十分に可能なんですが、
終盤20分くらいの急展開は
本質的に気が狂った映画を久々に観た思いでした(笑)
渋谷 慶一郎(音楽家)
まさに、太陽王の落日の瞬間まで、
キャメラはただ追い続けるだけだが、
ゴージャスな鬘、そして衣装をまとった王が
ゆっくりと死のオブジェと化していく即物性が
異様に新しく、美しい!
滝本 誠(評論家)
人はすべて死ぬ。
ルイ14世は人間である。
よってルイ14世は死ぬ。
ジャン=ピエール・レオは
この三段論法の絶対的正しさを
完璧な演技で実証してみせた。
鹿島 茂(フランス文学者)
77歳になろうとしたら、
77年もかかってしまう。
それなのに、
あっという間だったなと言うんだろう。
人の脳の魔法だろう。
この映画は遅い。
この映画は速い。
ゆっくりと、少しづつ、
そしてあっという間に終わってしまう。
飴屋 法水(演劇作家)
太陽王と側近たちの
物理的・精神的な距離感。
美しい絵画のような
「死の床」の構図は、
歴史を築いた偉大なる存在の、
果てしない孤独を感じさせた。
石丸 幹二(俳優・歌手)
贅沢な衣装と身も蓋もない描写とが、死と物質との接点を暴き出す。
悪趣味と切実さとの邂逅が、平穏に暮らす私たちに囁きかける「死のみすぼらしさ」。
春日 武彦(精神科医)
“レオ”と“ルイ”が重なり、映画史と世界史が混じりあう。誕生と死がつながって感じられもするが、それらのすべては、この映画に隠れ棲む悪魔の企みである。そしてもちろん、その悪魔とは監督のアルベルト・セラ氏に他ならない。
森村 泰昌(美術家)
間違いなく、映画史に何かが起きた!
それより確実に間違いなく、
かつてないレオーにア然とした!
中原 昌也(ミュージシャン、作家)
死は本人の経験ではない。誰も死というものを所有することはできない。
「映画」という死を描く宿命にある媒体で、セラは太陽王の死顏ではなく、自身の死顏を先取りして描いたのでないだろうか。
これは自身の死顏の描写である。
ヴィヴィアン 佐藤(美術家)
★★★★★
ジャン=ピエール・レオは死の亡霊だ。
私たちは決してこの映画を忘れない。
レザンロキュティーブル紙
★★★★★
俳優ジャン=ピエール・レオ史上
最も崇高な作品。
太陽王の苦悩にスペイン・バロック様式の
輝きが加わり、魅了される。
ユマニテ紙
★★★★★
ジャン=ピエール・レオは、
カタルーニャ人監督アルベルト・セラが
明暗と魔法と医薬で描いた
王の苦悩の中の壮麗さに血肉を与えた。
リベラシオン紙
★★★★★
人生の終わりの
まさしく驚くべきポートレート。
この映画は純粋なミニマリストの
親密さから創造されている。
ガーディアン紙
★★★★★
アルベルト・セラは
自身の主題の正義を遂行し、
ゆっくりとしっかりと
忘却に向けて行進する死を、
堂々と断固とした芸術作品に変えた。
ロサンゼルス・タイムズ紙