BACKSTORY

2009/6 イラン大統領選挙。改革派ムサヴィ候補の優勢が伝えられたが、アフマディネジャド大統領が再選を果たす。これについて不正な操作があったのではないか、と選挙結果の無効を訴える改革派のデモが沸き起こり、多数の逮捕者を出す。(この状況はハナ・マフマルバフ監督の『グリーン・デイズ』に描かれている)
2009/12 パナヒ監督がムサヴィ派支持の活動を理由に一度逮捕された、という情報がある。
2010/2 ベルリン国際映画祭でイラン映画に関するシンポジウムが開催され、パナヒ監督が招待されたが、イラン政府により出国を認められず。
2010/3/1 自宅で映画製作の準備中、警察に踏み込まれ、助監督を務めていたモハマド・ラスロフ監督らスタッフや家族とともに当局に拘束される。
ラスロフ監督らはすぐに釈放されるが、パナヒ監督は長期間拘束。
2010/4 カンヌ国際映画祭がイラン当局へのプロテストとして、パナヒ監督を審査員に招くことを発表。しかし、パナヒ監督は釈放されず参加できず。
2010/5/25 保釈金を払って釈放され、自宅軟禁に。
2010/12/20 一審判決。“イラン国家の安全を脅かした罪により”6年間の懲役、そして20年間の映画製作禁止、出国禁止、マスコミとの接触禁止という、信じられない内容。
ラスロフ監督も懲役6年の判決を受ける。
この判決に対して、海外のさまざまな映画人や団体による抗議声明が出される。
2011/2 ベルリン国際映画祭がイラン当局へのプロテストとして、パナヒ監督を審査員に招くことを発表。
2011/3 ミルタマスブ監督の協力のもと、自宅で『これは映画ではない』を撮影、作品として完成させる。
2011/5 その映像をUSBファイルに収めてお菓子の箱に入れ、とある知人のルートによって国外へ持ち出し、カンヌ国際映画祭でワールド・プレミア。ミルタマスブ監督が舞台挨拶に立つが、それまでの経緯について具体的な発言はなかった。
2011/9 ミルタマスブ監督がトロント国際映画祭に招待されるが、出国を禁止される(ミルタマスブ監督は東京フィルメックスにも招待されたが、来日できず)。
2011/9/17 ミルタマスブ監督ら6人の映画関係者がイランで撮影されたBBCドキュメンタリーに協力したことが「スパイ活動に当たる」という理由で拘束される(BBC側の声明によると、ドキュメンタリーは政府の許可を得て撮影されたもので不当拘束以外の何ものでもない)。
その後ミルタマスブ監督を除く5人は釈放されたものの、ミルタマスブ監督は釈放されず。
2011/10/14 パナヒ監督の控訴審判決が出るが一審を支持。いっさいの減刑もないまま刑が確定する。
2011/10/18 モフセン・マフマルバフ監督ら国外在住のイラン映画人21名による抗議声明が発表される。

参考:2011年11月26日 東京フィルメックストークイベント「イラン映画作家の現状」
(市山尚三氏/東京フィルメックスプログラム・ディレクター)

12月11日、拘留されていたミルタマスブ監督が保釈金を払って釈放され、自宅軟禁に。
パナヒ監督は現在まだ収監されていない模様。なお軟禁の状態がつづいている。

2012.6.13現在