- 『祝福〜オラとニコデムの家〜』はあなたの長編デビューです。あなたの原動力となったものは何でしたか?
- おそらく、この物語が私自身の経験に関連していて、私自身の子ども時代に触発されている、という事実だと思います。主人公は14歳の子どもで、私自身がかつてそうだったように、大人の責任を負っています。オラの家族では、役割が逆さまです。彼女が、両親と彼女の障がいのある弟の世話をしています。このような「大人の子どもたち」はポーランドだけのことではないですし、珍しいことではないかもしれません。しかし、会話の主題として取り上げられることはほとんどありません。映画が世界を変えるとは期待できませんが、それが議論を呼び起こすなら、それは何かになると思うのです。私は自分にとって重要な事柄について取り上げようと決意しました。そして、この映画が、映画の主人公にとっても重要なものなのだと分かったとき、私は決して消えることのないエネルギーを感じることができたのです。
- あなたの言葉で、オラ、ニコデム、
そして父親のマレクを説明していただけますか?
- 彼らはまるでおとぎ話の登場人物のようでもあります。父親は、心優しいのに完全に無力、というグリム童話の世界の男やもめのようです。おとぎ話の悪魔のような継母は、子どもたちから逃げ出してしまう(なぜって私は悲しかったら、と彼女は言います)大きな少女のままの母親に取って代わります。そして息子と娘はそんな状況に対処しなくてはなりません。オラは大人になると決心し、他の人にはできない役目を果たそうとしています。掃除をしたり、弟を叱ったり、そして弟と父親の面倒を見るのです。オラはニコデムの初聖体の儀式をなんとしてもうまくやりたいと願っています。それが“普通”のことだからです。でも時々、彼女は爆発してしまいます。ニコデムは自分をチンパンジーとか馬だと見なしていて、時に口にする鋭く深い批評の言葉を、自分自身の詩的な世界の中に隠しています。
- オラの視点から描くことを選択したのはなぜですか?
- オラが私に近いと感じてくれたからです。私は、映画の中に描かれている状況のいくつかを経験しているので、自分自身の人生を通じて、彼女の気持ちを完全に理解することができました。しかし状況的なことが同じだというよりも、むしろ感情的な側面の部分で、私とオラは同じなのだと思います。
- あるインタビューで、
“自分が何をやりたいのかを言うのでなく、
彼らがどうして欲しいのかを聞いていた”と言っていますね。
- 私が言いたかったことは、これはオラやニコデムが望んでいることとは違うと感じたら、あるシチュエーションを強引に作ったりはしなかったということです。この映画は倫理的な題材だけを語るのではありません。彼らが望んでいることを聞くことなしに、映画に真実はないのです。だからこそ、準備期間がとても重要でした。カメラなしに、たくさんの時間を彼らと過ごしました。様々な状況での彼らの反応を見続けました。スプリプトを書いている時、私には彼らが出来事に対してどんな反応を示すのか予想することができえるようになっていました。
- 撮影中に予期しない“マジカル”な瞬間は起きたのでしょうか?
- 当初、私は物語を見つけられませんでした。出発点も見つからなければ、足がかりも見つからず、どこから始めればいいのか、どこで終わればいいのかもわからなくなっていました。ところがニコデムの初聖体式がやってきて、そこからすべてが上手くいくようになったのです。それは単にオラの目標が叶いそうになったからでもではなく、初聖体式が彼女の大人への成長のメタファーになっているからでもなく、彼女が自分の状況を語る良い口実になってくれたからです。ポーランドでは、初聖体はとても重要な儀式です。家族が完全になるために欠かせない機会です。私は、母親に帰って来て欲しいと願っているオラが、初聖体式を家族がもう一度ひとつになるためのチャンスにしたいのだと気づいたんです。
私は自分の初聖体式の記憶から、この儀式についての様々なシーンを書いてみました。もちろん、ニコデムが教会で面白いことを言ってくれないかなと期待もしました(実際、彼はそうしました)。私などよりも、おおかたの子どもたちよりもニコデムがいかに考え深い子だということを見せたかったからです。教会での司祭との会話を撮りたいと思ったのは私ですが、ニコデムがそこで口にした美徳と罪についての言葉はなんと素晴らしいものだったでしょう! それこそまさにあなたのおっしゃる“マジカル”な瞬間でした。
- あなたは主人公の信頼をどのように獲得したのですか?
- 最も難しかったのはオラの信頼を得ることでした。オラにとって私は、多くの嫌なことで彼女を苦しめている大人の世界の人間なのですから。ですので、最初の頃、私にとって最も重要なことは、オラとニコデムが私と一緒にいても安全だと確信させることでした。映画を撮りたいという私の意図を彼らが理解することも不可欠でした。もちろん、彼らが実際に自分たちがどう映画に関わるのかを理解していないということは認識していました。それによって倫理的ジレンマを抱えました。私は子どもを撮影して、彼らにはボダーラインを作って私のカメラから自分を守ることはできない。だからこそ私は、映画を製作している期間も、それ以降に起こる可能性のあることすべてについても、完全な責任を負わなければならないと思いました。
- 登場人物たちの信頼を裏切らずに、
どのように彼らの感情をカメラにとらえたのでしょうか?
- 私は慎重になることに最善を尽くしました。カメラが、超えてはいけない一線を超えないように、潜在的な痛みに踏み込まないようにと。
私たちは、人物に特定のアプローチをし、できるだけ親密性を高めるために35mmと28mmの固定レンズを使用しました。距離を近くするのは撮影には困難でしたが、彼らとのバリアを越えるためには、非常に重要だったのです。しかし正直なところ、撮影開始当初は、そのために自分たちが侵入者になったようで居心地の悪さを感じていました。それは家族にとってもそうでした。一方で、このことであたかも<カメラが見えない>と感じられますが、実際には、時には、私たちが存在することだけでも、またもちろんカメラが近くにあることで、彼らの感情が呼び起こされることがありました。彼らが映画の中で、自分が置かれている状況に怒りっているのは、それはカメラが近くにいることに対する怒りでもあったと思います。映画から見て取れる緊張は、全過程を通じて彼らと私たちクルーが感じていたものなのです。そして同時に、そのことによって、彼らと私たちクルーの絆が築かれたのだと思います。
- この家族と出会い、
映画を制作することになったきっかけは何ですか?
- オラたちに出会ったのは偶然で、父親のマレクを駅で見かけて、その様子にすごく興味を惹かれたので、話をして家族に会うことになりました。実は私自身も、幼少期に両親の代わりに弟の面倒をみる、というような体験をしていました。この「子どもなのに大人のような責任を担わされる」ということを「アダルトチャイルド」と私は呼んでいます。自分の経験から「アダルトチャイルド」 に興味を持っていました。そこで、この題材で、最初は長編ドキュメンタリー映画ではなく、短編のドラマを撮りたいと思っていたのです。映画の作り手には、ある意味、自分の作品で自分を癒すというか、探求することがあると思います。私にもそういう感覚がありました。オラとは家族の状況も違うし、オラほど大変な責任を背負っているわけではなかったのですが。
- 短編のドラマを撮るつもりが、
なぜこの家族の長編ドキュメンタリー映画を
撮ることになったのですか?
- この家族に出会って、内面も外面もとても美しいと思いました。その美しさに魅せられ、短編ドラマではなく、長編ドキュメンタリーでこの家族を撮りたいと思いました。そしてさらに、映画を撮るきっかけとなった出来事があるのですが、それはオラの言葉です。当時12歳だったオラに初めて会ったとき、私が「お母さんはどこ? 何をしているの?」と聞くと、彼女は「今は別居をしているけれども、お父さんがお風呂場を改装したらきっと帰ってくる」と答えました。母親は家を出てからすでに6年たっていたのですが、オラは母親が帰ってくることを信じていたのです。その切ない言葉を聞いて、私は、家族のなかに存在する、物理的には家にいない母親が、まるで幽霊のように感じられました。オラだけではなく、みんなが母親を待っていました。私はその時点で、映画のなかで母親の存在をどう見せるかが挑戦だと思ったことを、覚えています。
- そこから撮影に至る過程はどのようなものでしたか?
- 彼らの個性は撮影するうえで申し分なかったのですが、ドキュメンタリー映画であっても、核となるストーリーが必要だと思いました。そして、1年以上かけて、そのストーリーを探すという意味で、家族と接しました。ただもちろん、こちらが何かを作ってしまうと、心理的なリアリティは出てこないと思ったので、私が物語を作るということはしませんでした。彼女たちの夢は何なのか、何を必要としているのかということについて話し合いました。
- 家族の問題をとても自然に、
現実的に描いていたと感じました。
どのように家族との関係を築いたのでしょうか?
- 私たちの間には監督と撮られる対象という関係がありましたが、やっぱり大切なのは映画を超えて、人と人との関係性だと思うのです。言葉を超える何かがないとだめだと思うし、それが私たちの場合はありました。常に家族に対して、尊敬の心を持って接していましたし、特にオラとは話し合いを重ねて、彼女の状況の理解を心掛けました。ニコデムの場合は、会話をすること自体難しかったのですが、しかし心の部分で、とても近いものを感じていました。ある意味、オラよりも近いものを感じたように思います。
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(構成:永山桃)
インタビュアー:永山桃、赤司萌香/通訳:松下由美
山形国際ドキュメンタリー映画祭2017より転載