苦い銭

ワン・ビン監督の現場

前田さんが初めてワン・ビン作品に関わったのは、映画『収容病棟』。
2012年に撮影されたその映画で助監督を務めた。
その後、ヴェネチア国際映画祭の第70回開催を記念して製作された、アッバス・キアロスタミ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、キム・ギドク、ジャ・ジャンクー、園子温、塚本晋也、トッド・ソロンズ、ベルナルド・ベルトルッチらヴェネチアに縁の深い70人の監督が参加したオムニバス『Venezia 70 - Future Reloaded』のためにワン・ビンがつくった短編にも関わる。
3作目のワン・ビン作品となったのが、今回の『苦い銭』である。『苦い銭』には、前田さんの他、リュウ・シャンホイ、シャン・シャオホイ、ソン・ヤン、そしてワン・ビン自身、計5名がクレジットされている。リュウ・シャンホイは、映画の冒頭の雲南の部分と最後2016年に撮り加えた部分を担当したそうだ。

「今回はカメラが2台あったので、2班にわかれて撮影する方がより多くの素材を撮れるので良いだろうと言うことでした。ソン・ヤンは、僕が日本に戻らないといけなくなった後に参加したスタッフで、僕は会っていないです。シャン・シャオホイは僕が参加していた時にいたスタッフです。ワン・ビンの撮影では、いつもは移動が多いのでドライバーがいるんですが、今回は雲南から出て来たあとは同じ街で移動がないので、現場はシャン・シャオホイがドライバーも兼ねたカメラアシスタントで、後はワン・ビンと僕の3人という感じでした」。

ワン・ビンの映画で撮影を任され、しかも別班とは、責任重大ではないか。

「こういう経験は初めてだったので、最初から撮影したわけではなくて、まずは1週間アシスタントとしてワン・ビンにつき、今回の映画での彼の撮り方を勉強して、それから撮影を始めました。現場に着く前の準備の間、テーマの事とか、撮影スタイルの事とか色々聞いていたんですが、ワン・ビンはとにかく“自分で体感すれば分かる”と(笑)。
ワン・ビンから言われたのは、“1日5時間、最低でも3時間は撮れ”“まずはフィックスで動かずに撮り続けろ”“何も起こらないと思ってもどこで変化するかもしれないから、粘り強く撮れ”“ワンカット最低10分は止めるな、30分だって撮れる”“何も起こらなくても心配するな。そこでは必ず何かが起こっている。フィックスでもフレーム外の内容が入ってくる”“フィックスで撮れるようになったら、自分の判断で動け”“撮りながらフレームに入っていない回りも観察して、次を予測しながら撮れ”というようなことですね」。

毎日、撮影したラッシュを見ながら、打ち合わせしたりするのだろうか。

「映画の中の主要な場面を撮っている場所から、車で20分くらいのところにスタッフは寝泊まりしていたんですが、夜には、毎日ではありませんが、その日撮った素材を見たりもしてました。もちろん大まかな撮影プランはたてているんですが、撮影中に変わって行くことも多いですね」。

「また、この映画のひとつの特徴といえるかもしれませんが、今回はズームを使っていません。やはり夜のシーンが多い事もあり、ズームレンズだと絞りが足りず暗くて見えません。何本かのフィックス・レンズを使ってます。ワン・ビンはもともと28mmの広角のレンズが好きで、それは一番人間が自分の目で見ている感覚と近いからだと言っていて、今回は25mm、28mmとあと35mm、50mmですね。アシスタントは、撮影しているワン・ビンのそばで、かつフレームに入らない位置に待機していて、レンズを変えるときにさっとレンズを出す、みたいな感じです」。

場面写真
前田さんが撮影に加わったのは、2014年の10月から2015年の4月頃まで。
当初、ワン・ビンからもともと聞かされていたのは、“若者”を題材にした映画だったが、喧嘩をする夫婦に出会ったことがきっかけとなり、作品の内容は変わって行った。現地には100人以上の規模の大縫製工場もあるが、20.30人規模の小さな工場に焦点をあてて撮影をした。カメラはそこで働く人々を、ある被写体から別の被写体へと焦点を移動させていくかのように捉えていく。

「僕が撮った、ある工場は、もともとワン・ビンが撮っていた部分もあったんですが、すべてがカットされていました。ワン・ビンの撮影で、ラッシュで見た時、これは絶対使うだろうなという素晴らしいシーンがあったんですが、それも使われていませんでした。本人に聞いてみないとわかりませんが、人物に関係性を持たせながら繋いでいくという群像劇にはまらないものは思い切ってカットしているのかもしれないですね」。

ワン・ビンと言うと、被写体がまるでカメラがないかのように振る舞い、一方で時にカメラに被写体が声をかけるシーンも印象的だ。ワン・ビンの現場での被写体との距離は?

「やっぱりその人とすごく仲良くなろうとしてます。なのでカメラを回してない時も、もっと言えば回している間も、よく話したり。あと、ワン・ビンは相手が嫌がることを無理矢理撮ったりはしない。相手を尊重していることが伝わるから、あそこまで撮らせてくれるわけですね。もちろん時には、ここは撮るなとかいろいろごちゃごちゃする時もありますが、やはりそういうのを見てるとドキュメンタリーはメンタル強くないと撮れないなとも思いますね」。

前田さんから見て、ワン・ビンの凄さとは? あらためて聞いてみたい。

「ワン・ビンはフィックスの絵が多いと思われてるかもしれませんが、実は被写体を追いかけたり、パンしたり、カメラはよく動いています。それでもすべてのカットのフレーミングが抜群です。フレーミングのセンスが天才的なんです。そしてフレームの中だけではなくて、現場における空間把握力と人物の次の動きを予測する力がとにかく凄いです。だからこそワン・ビンの映画は、カメラが動いている間の時間も生きている。パンしてる間も生き生きしてる。死んでいる時間がないんです。僕にも“やった、撮れた”というそんなカットはありますが、それは時々で、ワン・ビンの場合はいつでもどのカットでも、ですからね。本当にカメラの集中力は半端ありません」。

人懐っこい柔和で素朴な笑顔に騙されそうになるが、ワン・ビンには強靭な人間力と天才的な映画力が詰まっている。
前田佳孝 Yoshitaka MAEDA

1984年生まれ。ワン・ビン監督の『鉄西区』に感銘を受け、北京に留学。2年間の語学勉強の後、北京電影学院に入学し、監督科を卒業。その後はワン・ビン作品の他、ロカルノ映画祭最高賞の『冬休みの情景』(2011/リー・ホンチー監督/NHKアジア・フィルムフェスティバル上映作品)で助監督を務めたり、『転山』(2011/ドゥ・ジャーイー監督/東京国際映画祭上映作品)ではメイキング・ドキュメンタリーを担当するなど中国映画の現場を経験している。

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