カンヌ国際映画祭公式作品
史上最長の『死霊魂』は、
圧倒的で、凄惨で、胸をえぐる。
我々の時代の『ショア』である。
これは爆発物だ!
『死霊魂』は生き延びた人々の
悲惨な証言によって、
1950年代後半~ 1960年代初頭の中国で、
辺境の収容所がいかにして作られ、
運営され、何が起きたかを指し示す。
証言の重みと存在にふさわしい
8時間超えで語られる、
パワフルで確固たる視点による検証。
記念碑的な集大成である。
ずっしりと、注意深く、厳格に。
『死霊魂』は20世紀中国史の闇に光をあてた。
紡ぎ出される証言者たち一人ひとりの語り。
その言葉は砂漠に散らばる骨の沈黙と響きあう。
生ける者と死にたる者との身体をとおして今、
記憶がわたしたちへと伝えられる。
個人では決して抗うことのできない
時代という流れの前で
私たちの人生とはなんなのか。
時代の流れが大きく変わりつつある今、
自分自身を見つめる時間として
8時間は決して長くない。
夾辺溝の惨劇は全中国の右派の苦難の縮図。
右派の摘発は政治体制による
群衆の総動員で行ったことで、
反省の責任は国民の一人一人にもある。
一中国人として王兵監督に深く感謝する。
8時間半弱は躊躇するが、
進めば進むほど面白さが増すので、
体感は2時間半もない。
中国史の証人たちの語りに魅了され、
彼らの生と死に圧倒される。
観に行かないと後悔する。
登場する人たちが語るのは
証言という以上のもの。
語らぬ死者を意識するワン・ビンのカメラは、
いわば被写体にそれぞれの生と
語るべきことを見出させる。
いよいよ驚異的だ。
ホラー映画を思わすタイトルに怯みつつ、
荒涼とした大地をさまよう
死者たちの存在を実感する。
不条理の極北のようなこの事実を、
いま映像で体験できることに逆説的に感謝!!
わずかに生き延びた人々の
肉声から浮かび上がるのは、
この世の地獄の光景と、
生き残れなかった圧倒的多数の無念。
「国に殺される」……いまの日本人なら、
その不条理な恐怖を痛いほど理解できるはずだ。
砂漠の収容所群に現象する飢餓地獄。
生き延びた彼らの証言に、
死者の肉声が憑依する。
六十年前の出来事でなく、
それらはゆえに“現在”する。
終盤、白骨散乱する荒野を王兵が踏みしめる。
八時間を経て、
その足音へ混じる幽かな呼び声を、
私たちはすでに聴いている。
中国の「ショア」がついに
ワン・ビンから放たれた。
文章では絶対に伝わらない、人間の聡明さ、
魂の尊厳、生き抜く力を
全身で感受するような体験だ。
8時間見てさらに見たいと思わせる点において、
ホロコーストのドキュメンタリーを
超越している。
僅か10%という生存者の言葉も表情も、
荒涼とした大地に残る人骨も、
すべて証言となり心に刻む。
飢饉の真相には虚無感も。
映画は彼らの人生最後の力を未来に繋いでくれた
中国ではホラー映画は禁止。
それは中国共産党が幽霊の存在を認めないから。
マルクスの有名な「ヨーロッパに幽霊が出る。
共産主義という幽霊が。。。」という一節。
共産主義こそが幽霊だったのか、
認めない残余こそが幽霊なのか。
一度消され埋もれ風化された歴史を蘇生させ、
救済する行為。
8時間では物足りない。
反「反右派闘争」はワン・ビンのライフワークである。
その闘いの集大成にして決定版が、ここに登場した。
8時間を超える上映時間にたじろぐ必要はない。
静かな、だが悲痛なラストにたどり着いた時、
あなたは心の中で叫ぶだろう。
これはどうしても必要な長さだったのだ。
これ以上、カットすることなど、絶対に不可能だ、と。