INTERNATIONAL ARTIST
メンフィス・ジューキン
上神彰子(YAPPARI HIPHOP)
メンフィス・ラップの革新的なサウンドとともに進化をとげた“メンフィス・ジューキン”
 アメリカ南部テネシー州の都市メンフィスは、“ブルースの故郷”、“ロックンロール発祥の地”として知られ、公民権運動の時代にはマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された地でもある。黒人文化が根付くメンフィスという街は、音楽など豊かな文化遺産がある一方で、貧困、開発の遅れ、格差といった問題を抱えている。

 “メンフィス・ジューキン”というストリート・ダンスは、メンフィスのヒップホップ文化から生まれ、メンフィス・ラップの革新的なサウンドとともに進化をとげてきた。現在、アメリカのヒット・チャートを席巻する最新ヒップホップ音楽を聞くと、メンフィス・ラップの影響力は計り知れない。近年、ブロックボーイJB、キー・グロックといった新世代ラッパーを中心にメンフィスのシーンは新たな盛り上がりを見せ、その影響力の大きさから、メンフィス・ラップを再評価する動きもある。例えば、映画のエンドロールで流れるアル・カポーンの楽曲「Memphis Pride」(2013)は、メンフィス・ヒップホップの歴史を築いたアーティスト、映画にも出てくるスケート・リンク、クリスタル・パレスやクラブ・ノーネームといったメンフィス・ジューキンにとっても重要な場所に賛辞を送っているメンフィス・ラップ・アンセムなのだ。

 ジューキンは、映画の中でリル・バックが語っているように、80年代から存在するメンフィス特有の“ギャングスタ・ウォーク”というダンスが基礎になっている。
そのルーツには諸説あるが、メンフィス・ラップのゴッドファーザー、DJスパニッシュ・フライが自主制作したラップ曲「ギャングスタ・ウォーク」をクラブで流したときに、大勢の客が輪になり踊り始めた。DJスパニッシュ・フライが、そのダンスを“ギャングスタ・ウォーク”と名付けたのがはじまりだと言われている。当初は、腕を振って飛び跳ねながら歩く、とてもシンプルなダンスだった。長い年月を経て、マイケル・ジャクソンのムーンウォークのようなスライド、アニメーション、リキッドダンス、ロッキン、ポッピン、グライディング、フローティングの要素が加わり進化した。それが、メンフィス・ジューキンだ。

 2000年代になると、それまでアンダーグラウンドの存在だったメンフィス・ラップはアメリカのメインストリームに進出しはじめた。2005年に映画『ハッスル&フロウ』のテーマ曲「It's Hard Out Here For A Pimp」によってアカデミー賞のオリジナル歌曲賞を受賞したスリー・6・マフィアをはじめとするラッパーたちの商業的成功と共に、ジューキン・ダンサーが多数出演しているラッパーのミュージックビデオを通して、ジューキンが世間に知られるようになった。2010年代には、アメリカ南部テキサス州ヒューストンの故DJスクリューが考案したチョップド&​スクリュードという音楽技法がトレンドとなり、ビートのBPMが60〜70にまで低速化した。そのサウンドの変化から、ジューキンはよりいっそう滑らかな動きを追求し、つま先立ちのスピンなどから「アーバン・バレエ」とも呼ばれるようになった。ジューキンはストリートだけでなく、ブロードウェイやバレエといった分野からも注目を集め、活躍の場を広げた。その火付け役となった人物がリル・バックだ。
ムーヴメントとしてのダンスへ。メンフィス・ジューキンの可能性
 世界を舞台に活躍するスター・ダンサーにまで上りつめたリル・バックという存在がいる一方で、メンフィスの才能溢れるジューキン・ダンサーの中には若くして亡くなった者も多い。映画では「メンフィスという街は闘争によって築かれた」と語られているが、子供でさえも小さい頃から闘わなければ生きていけない。ジューキンは子供たちにとって、怒りやストレス、鬱憤を吐き出す逃げ場として犯罪やトラブルを遠ざける機能も果たしている。

 貧困だけでなく、奴隷制時代に黒人逃亡奴隷を捕まえる目的で組織された背景をもつアメリカの“警察”も、昔から黒人コミュニティの生活を脅かす存在だ。アメリカでは、2012年頃から黒人に対する警察の暴力や構造的人種差別などの撤廃を訴えるブラック・ライヴズ・マター運動が起こり、2020年にはその抗議の声が世界各地に広まった。リル・バックはダンサー/振付師のジョン・ブーズと共に、“ダンスの芸術的、教育的、社会的な影響力を高めながら世界にインスピレーションや変化を与えること”を目的とした“Movement Art Is”(M.A.I)という非営利団体を2016年に設立。M.A.Iは、警察による黒人男性への残虐行為をテーマに、画家のアレクサ・ミードと共同制作した「Color of Reality」(2016)、アメリカの刑務所制度問題を扱った「Am I a Man?」(2017)、アメリカ黒人コミュニティが直面している問題をテーマにした「Love Heals All Wounds」(2019)といった映像舞台作品を発表し、世界にメッセージを投げかけている。リル・バックはこう語る。
「ダンスは常に社会を変えるための強力なツールで、最も古い言語のひとつだ。ジョン・ブーズと俺は、重要な社会問題への意識を高めるためにダンスを用いている。ダンスは単なるエンターテインメントではないということを伝えたい。本当の意味で意識を高め、世界を変えることができるんだ。」

 リル・バックは確実に世界を変えている。彼がクラシック音楽家のヨーヨー・マとコラボレーションするまで、人々はジューキンをアートフォームとして意識していなかった。だが、彼はメンフィスのストリートでやっていたことと全く同じことをしただけだ。唯一の違いは、音楽がラップからクラシックに変わった点だが、これは、ヒップホップ音楽とそれに付随するストリート・ダンスに対して、多くの人が恵まれない地域、特に黒人コミュニティで生まれたものというレッテルを貼り、先入観や偏見をもっていることを示しているのではないか。黒人が生んだヒップホップ音楽やストリート・ダンスは、クラシック音楽やバレエと同様に、素晴らしいアートフォームとして評価されてもいいはずだ。
関連サイト:www.yapparihiphop.com/  |   movementartis.com/