ペルシャ猫を誰も知らない

No One Knows About Persian Cats

Staff

監督:バフマン・ゴバディ

1968年2月1日、イラン・イラク国境近くのクルディスタンの町、バネーに生まれる。88年から映画制作に携わり、初長編作『酔っぱらった馬の時間』(2000)で、カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)と国際批評家連盟賞をダブル受賞。続く長編第2作『わが故郷の歌』(2002)もカンヌ国際映画祭<ある視点>部門に出品。ふたたび高い評価を得た。2003年、イラク戦争終結後のイラクに入り、ドキュメンタリー『War is over?!…』を製作。長編3作目となる『亀も空を飛ぶ』(2004)をイラク領クルド人自治区で撮影し、現代の叙事詩といえるスケールで世界を圧倒。サンセバスチャン国際映画祭グランプリをはじめ数々の賞に輝き、米アカデミー賞外国語映画賞のイラン代表にも選ばれた。長編4作目の「Half Moon(半月)」はイラクのクルド人自治区でコンサートを開くため、イラン側から国境を越えようとする音楽家達のロードムービー。本作を最後にイランを離れ、現在、海外に居住。

2000年 『酔っぱらった馬の時間』
2001年 『わが故郷の歌』
2004年 『亀も空を飛ぶ』
2006年 『Half Moon(半月)』 ※日本未公開/東京フィルメックス上映、シネフィル・イマジカにてTV放映、映画祭・TV放映題「半月~ハーフムーン」
2009年 『ペルシャ猫を誰も知らない』

監督インタビュー

――これまでの作品とまったく異なるスタイルですが、そうした理由は何ですか?

バフマン・ゴバディ監督(BG):この映画で僕は、テヘランの生活のありのままの熱とリズム、ダイナミズムを捉えようとしました。この街を違ったアングルから見せたいと思ったんです。この映画のリズムには、音楽、特にその歌詞が影響しています。

――この映画はイラン映画史で初めて、反体制的な若者に対する政府の厳しい対応を公然と批難した作品です。この題材を選んだことで、あなたは大きなリスクを背負ったわけですが、撮影はどのように行われたのですか?

BG:撮影中、僕は細心の注意を払いました。撮影許可を得ていなかったからです。2、3台のバイクで走って街の様子を調べると、いつものような撮影準備もないままに撮り始めました。警察が僕たちを見つける前に、どのシーンも素早く撮り終わらなくてはなりませんでした。たった17日間の撮影だったのに、17カ月もあったような気がします。映画をつくるには最悪の条件でしたからね!

――この映画の着想はどこから?

BG:前の映画(「ハーフ・ムーン」)が検閲を受けたことと、次の映画の許可が下りないことで、僕は落胆し、気持ちが塞いでいました。婚約者のロクサナ・サベリ(*コラム参照)が、僕をなぐさめようと、僕自身がおかれた状況に対する映画を撮ることをアドバイスしてくれました。同時に、その頃僕は、録音スタジオで無許可で歌をレコーディングしていました。そのスタジオで僕は、この映画の主人公アシュカンとネガルに会ったんです。そして少しずつ、僕は彼らの生き方、彼らの世界に入っていきました。撮影中に、僕らは2度、警察に連行され、それで2日間撮影できませんでした。でも、ある贈り物(僕の旧作のDVD)のおかげで、警察は僕らを解放してくれました!

――この映画はイランで公開されると思いますか?

BG:イランで公開されることはないと100%確信します。

――映画のタイトルの意味は?

BG:イランでは、犬でも猫でも外に連れ出すことはできません。ですが、家の中では猫をとても可愛がります。また、ペルシャ猫はとても高価ですよね。それで僕は、ペルシャ猫とこの映画の若き主人公を重ね合わせました。自由がなく、彼らの誇りある音楽を演奏するためには隠れなければならない若者たちです。それに、ミュージシャンたちの家を訪れた時に気づいたんです。猫たちはアンプの前に陣取り、音楽を聴くのが大好きだってことにね!

(海外版英語プレスより)

撮影:トゥラジ・アスラニー

イラン映画界を代表する名カメラマンの一人。ロカルノ国際映画祭の審査員賞に輝いたサマン・サルール監督の「A Few Kilos of Dates for a Funeral」(2006)ではモノクロームの映像、カンヌ国際映画祭批評家週間出品作で、第22回東京国際映画祭<アジアの風>部門でも上映されたクルド人監督シャフラム・アリーディの秀作「風のささやき」(2009)ではマジック・リアリズム的な映像で強い印象を残している。

編集:ハイェデー・サフィヤリ

ファジル国際映画祭で最優秀編集賞を2度受賞している名編集者。ゴバディ監督作とは、前作の「Half Moon(半月)」と『わが故郷の歌』で組んでいる。

製作:ミジ・フィルム

バフマン・ゴバディ監督により設立された製作会社。