ヴィオレットを取り巻く人々
ヴィオレット
ボーヴォワール
モーリス
ゲラン
ジュネ

作家 ヴィオレット・ルデュック

日本では、代表作「私生児」の翻訳が1966年に、「ボーヴォワールの女友達」が1982年に出版されたのみ。知る人ぞ知る作家で、本国でも一時期は忘れられた存在だった。しかし映画の公開を機に、フランスでは全集が出版され、ボーヴォワールが「第二の性」で時代を変えたと同じように、時代を変えた作家として再評価されている。人生のすべてを ”芸術”に昇華させた彼女の生き方は”文学界のゴッホ”にもたとえられている。

1907年 北フランスの町アラスで誕生
1920年 母の結婚を機に、寄宿学校に入る
1925年 退学処分を受け、パリに移る
1942年 戦禍を逃れ、モーリス・サックスと共に疎開。小説を書き始める
1944年 ボーヴォワールと出会う
1946年 処女作「窒息」(L'asphyxie)をガリマール社より出版
1948年 「飢えた女」(L'affamée*邦訳題:「ボーヴォワールの女友達」林部由美訳)を出版
1964年 「私生児」(La Bâtarde*邦訳:榊原晃三、浅野八郎訳)を出版
1972年 南フランスのフォコン村にて永眠。

主な著作

  • 窒息(L'asphyxie,46年出版)
  • 飢えた女(L'affamée,48年出版*邦訳題:「ボーヴォワールの女友達」林部由美訳)
  • 破壊(Ravages,53年出版)
  • 老嬢と死体(La vieille fille et le mort suivi de Les Boutons dorés,58年出版)
  • 宝拾い(Trésors à prendre,60年出版)
  • 私生児(La Bâtarde,64年出版*邦訳:榊原晃三、浅野八郎訳)
  • きつねの襟巻きの女(La Femme au petit renard,65年出版)
  • テレーズとイザベル(Thérèse et Isabelle,66年出版)
  • 頭の中の狂気(La Folie en tête,70年出版)
  • タクシー(Le Taxi,71年出版)
  • 愛を追いかけて(La Chasse à l'amour,73年出版)

私は、ヴィオレットは文学界のゴッホだと思っています。
自分の持っている苦しみを、芸術を通じて乗り越えていくほど美しいことはありません。
撮影中は、彼女と寄り添って生きた日々でした。

───── エマニュエル・ドゥヴォス(主演・ヴィオレット役)

ヴィオレットの文章は驚くほどに洞察力に富んだ、美しい文章でした。
私が彼女について、より強く感じたもの、より深く感動したものは、彼女の内部に隠された壊れやすく傷つきやすい部分。
私は本当のヴィオレットに近づきたかった。愛を追い求め、“書く”という行為の偉大な孤独の中に生きるヴィオレットに。

───── マルタン・プロヴォ(監督、共同脚本)

自分の人生をいかに文学に昇華するか、ヴィオレットがやってのけたことは唯一無二のものです。
彼女は感覚を描写する言葉を発見したのです。感覚の描写は、性的感覚はもとより、一般的には情感や美意識にも関わるものですが、そこで彼女は、自己内省を掘り下げ、詩的な叙情性と、最も日常的な言語とを、ごく自然な形で使い分けることにかけて類い希な才能を発揮しています。

───── ルネ・ド・セカティ(共同脚本、ヴィオレットの伝記「éloge de la bâtarde」著者)

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作家、哲学者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール

パリに生まれ、女性が大学に進むのが稀な時代にパリ大学で哲学を修めた。29年、ジャン=ポール・サルトル(哲学者、作家)と知り合い、契約結婚。二人の関係は、サルトルの死まで50年続いた。49年、「第二の性」を執筆。フェミニズム運動に革新をもたらした。その他の代表的な作品に、自伝的小説『レ・マンダラン』(66年)、癌で死にゆく母を書いた「おだやかな死」(95年紀伊國屋書店刊/杉捷夫翻訳)。86年、パリで没。

作家 モーリス・サックス

同性愛者ともバイセクシュアルとも言われる。裕福なユダヤ人宝石商の家庭に生まれるが、25年にカトリックに改宗。社交界に出入りし、ジャン・コクトーらの知己を得る。一時期アメリカを旅し、フランス芸術を語って有名人となる。フランスに戻り、コクトーの他にも、アンドレ・ジッド、マックス・ジャコブ、プルースト、ココ・シャネルらと交流するが、しばしば金をだまし取るなどトラブルを起こした。邦訳されている作品に「屋根の上の牡牛の時代」(94年リブロポート発行/翻訳 岩崎 力)。

パルファン・ドルセーの経営者、篤志家 ジャック・ゲラン

香水会社パルファン・ドルセーの経営者。篤志家。手稿や稀覯本の収集家としても知られた。ジャン・ジュネの紹介でヴィオレットと出会い、支援するようになる。パルファン・ドルセーは1830年、伯爵家に生まれたアルフレッド・ドルセーにより創業。香水「エチケット・ブルー」は若き日のアルフレッドが愛人マーガレットのために捧げたもの。
1916年、ジャックの母ジャンヌ=ルイーズ・ゲランが同社を購入し、1936年ジャックが母の後を継いだ。なお、「夜間飛行」などの香水で知られるゲラン(Guerlain)とは別の家系。

作家、詩人、劇作家ジャン・ジュネ

売春婦であった母カミーユのもと、パリで生まれ、生後七ヶ月で母に捨てられ、田舎に暮らす夫婦の養子となる。30歳になる頃までは、放浪と犯罪を繰り返した。42年、投獄中の刑務所で初めての詩集「死刑囚」を自費出版。コクトーに文才を認めさせる。44年、「薔薇の奇蹟」を執筆。終身禁固刑求刑を前に、コクトーらの努力によって、自由の身となる。その他の代表作に「ブレストの乱暴者」「女中たち」「泥棒日記」など。

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