1939年、ドイツ、ウィスバーデンの医師の家系に生まれる。56年、フランスのブルターニュのイエズス会寄宿学校に入り、卒業後、パリで政治学を学ぶ。ヌーヴェルヴァーグの重要な監督たちと親しくなり、ルイ・マル、アラン・レネ、ジャン=ピエール・メルヴィルらの助監督として働き、映画界へ。66年、『テルレスの青春』で長編デビュー。カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。71年、自身の作品に女優として出演していたマルガレーテ・フォン・トロッタ(『ハンナ・アーレント』監督)と結婚し、75年にはハインリヒ・ベルの同名原作の映画化『カタリーナ・ブルームの失われた名誉』を共同監督で発表した。同作の音楽を書いたハンス・ヴェルナー・ヘンツェとの出会いによって、その後、数々のオペラの演出も手掛けている。 79年、ギュンター・グラス原作の『ブリキの太鼓』でドイツ人監督として初のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞、同時にアカデミー外国語映画賞にも輝いた。その他、ドイツ・フランス合作となったマルセル・プルースト原作の『スワンの恋』(83)、アーサー・ミラーの原作をダスティン・ホフマン主演で映画化した『セールスマンの死』(84)など次々に秀作を発表。2000年には西ドイツの活動家が東ドイツに逃れる『リタの伝説』がベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)、1996年にはジョン・マルコビッチ主演で描く壮大な叙情詩『魔王』も高く評価された。近年は、『9日目〜ヒトラーに捧げる祈り〜』(04)、そして本作『シャトーブリアンからの手紙』(12)、最新作『DIPLOMACY』(14)など第二次世界大戦下の物語を描くことに力を注いでいる。『シャトーブリアンからの手紙』は、2001年に96年作『魔王』が公開されて以来、13年ぶりの日本劇場公開作となる。
1966 | テルレスの青春 |
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1970 | バール |
1972 | ルート・ハルプファスの道徳 つかの間の情熱 |
1975 | カタリーナ・ブルームの失われた名誉 |
1976 | とどめの一発 |
1978 | 秋のドイツ(オムニバスの一編) |
1979 | ブリキの太鼓 |
1984 | スワンの恋 |
1985 | セールスマンの死 |
1991 | ボイジャー |
1996 | 魔王 |
2002 | 10ミニッツ・オールダー イデアの森 (オムニバスの一編) |
2004 | 9日目 〜ヒトラーに捧げる祈り〜 |
2006 | ストライキ |
2012 | シャトーブリアンからの手紙 |
2014 | DIPLOMACY(原題)*2015年日本公開予定 |
私の脚本の源となったのは、ドイツ占領下におけるフランス市民の銃殺について報告したエルンスト・ユンガーの記録、「人質の問題について」であり、また、実際の人質たちの手紙、警察記録、そして作家ハインリヒ・ベルによる小説にも基づいている。ユンガーとベル、どちらのテキストも際立って強い個人的なアプローチを特徴とし、そして、どちらも「ヨーロッパとは」という問いが浮かび上がるたびに、常に記憶されるべきものだろう。
人々の運命は、あたかも容赦のない機会の上に吊られたあやつり人形のようだ。死は、行政の行為の形として訪れるにすぎなかった。この処刑に関わるすべての人間は、誰一人最終的な責任を負うことのない、純粋な行政行為とすることに成功したのだ。