機能主義を徹底する閉ざされた空間。だが、それを裏切る人々の営みの豊かさが愛おしい。
五十嵐太郎絶妙な距離で対象を追うカメラ。ロベール・ブレッソンを思い出した。鉄格子の内側にうごめく人々と空気に、身も心も揺さぶられる4時間だ。
石井達朗今この瞬間も、ワン・ビン監督がどこかの誰かを、優しく冷徹なまなざしで見つめているかと思うと、背筋がのびる。
同じ世界を生きていて良かった、と思う。
湿気、ニオイ、映画の中、鉄格子の向こう側から戻って来れなくなりそうになった。
戌井昭人人、人、人、人の声にならない呻きが響く。王兵が開いた扉の向こうには、人の裸形が浮き立つ。
だが、それは、鉄格子という鏡に反照した私らの姿にほかならない。
本作が公開されることは、それ自体「事件」である。観客は完全に、ノックアウトされる。
大野更紗狂気は作られる。その戦慄の実写は、どこかに日常性を有し、狂気と正常の狭間さえも消し去る。
織田淳太郎愛を求めて『収容病棟』を彷徨う男はかけがえのない固有さをまとっています。にもかかわらず、その一歩一歩に寄り添ったバックショットは、すべての傑作がそうあるように、時間の外へ飛躍して神々しいまでの普遍へと伸びています。
小出豊リアルという言葉が空々しくなるほどに彼らはそこに生きていました。不思議なほど詩的な時間でした。
七里圭これは紛れもないドキュメンタリーなのだが、同時に、沢山のドラマの欠片が芽吹く、無類に面白い群像劇でもある。
地球上に、この場所が実在するということ、この人たちが私たちと同じ世界で生きているということに、驚きと目眩と、悲哀と、そして歓びを感じる。
ワン・ビンの映画は今回もまた、奇跡の一瞬一瞬を積み重ね、壮絶にして優しい。
瀬々敬久『収容病棟』は、実は食べてもほとんど消化不可能な、ゴロッとした大きな岩みたいな作品なんじゃないか?うっかり食べてしまったばっかりに、これからずっと胃がもたれそうだ…。
想田和弘精神病者の姿は驚くほど自由で個性的だ。中国社会を辺境から描き出す監督の手腕に脱帽。
信田さよ子そこに有る光を拾いフレーミングを固定させ空気に溶け込んだワン・ビン監督。ドキュメンタリーのお手本みたいな映画だ。
温もりと安らぎを求めあう同性愛者・家族に歓迎されていないと知り街を彷徨する人・再会を喜び合う親と娘・人間社会の希望と残酷を描いていると思った。
この苛酷な光景をこれほど面白そうに眺めてよいものだろうか。
そう訝りながらも、最後まで息をつめて見まもってしまった。
収容病棟とは、他ならぬ“この世の縮図”である。収容されている人々は、私たち自身である。
だからこそ無性に愛おしい。このような人間観を持っている王兵監督は、信頼できる。
ワン・ビン監督は体もカメラも透明にする魔法を持っているのだろうか、と唖然となる。スクリーンの内と外がぐにゃりと捩じれる快感!
深田晃司すべての望みが断たれている。見つめ返して来るものは私たちの現実である。だからこそ、ここから思考せねばならないのだ。
松田正隆最初は異なる人たちだ。何を考えているかまったくわからない。でも時間が過ぎると同時に、彼らがわかってくる。同じように怒る。泣く。拗ねる。愛を求める。何も変わらない。僕やあなたと同じ人たちだ。いとおしさが込み上げる。それにしてもワン・ビンはおそろしい。絶対に彼の作品の被写体になりたくない。
森達也現代映画の驚くべきシンプリファイ。その一極が『ゼロ・グラビティ』であり、もう一極がワン・ビンの『収容病棟』だ。
森直人患者とともに、私は“檻”の中にいる。彼らと虚無の中を歩き回る。なぜ、こんなに気持ちが和むのだろう?
森下くるみ