イギリス、ノッティンガムでソーシャルワーカーとして働くマーガレットは、ある日、見も知らぬ女性シャーロットに「私が誰なのか調べて欲しい」と訴えられる。幼い頃、ノッティンガムの施設にいた彼女は、4歳の時にたくさんの子供たちとともに、船でオーストラリアに送られ、自分がどこの生まれなのか母親がどこにいるのかも判らないという。子供だけで船に乗せられるなんて、最初はその話を信じられなかったマーガレットだが、ある出来事を契機に調査を始める。やがて彼女はシャーロットのような子供たちが数千にも上り、中には親は死んだという偽りを信じて船に乗った子供たちさえいたことを知る。そしてその強制的な“児童移民”が政府によって行われていたことも……。
ごく最近の1970年まで、イギリスは、親にも知らせずに恵まれない施設の子供たちをオーストラリアへと大量に送っていた。“オレンジと太陽”を約束されながら、実際に子供たちを待っていたのは、過酷な労働や虐待だった……。にわかには信じがたい、この真実。本作はこの真実を明らかにした実在の女性、マーガレット・ハンフリーズの物語である。演じるのは、最新作『戦火の馬』も話題の演技派女優エミリー・ワトソン。事実を隠そうとする組織の大きな力と闘いながら、家族と引き離された元児童移民たちのために彼らの母親を捜し出す姿をサスペンスフルに感動的に描いた本作は、撮影中の2009年にオーストラリア首相が、2010年にはイギリス首相が、<児童移民>の事実を認め正式に謝罪したこともあり両国では公開前から注目を集め、特に児童移民が現在も多く暮らすオーストラリアではハリウッドメジャー作品に劣らない大ヒットを記録した。
監督は、これまでテレビの演出家としてドラマやドキュメンタリーで研鑽を積んで来た新鋭、ジム・ローチ。父は、名匠ケン・ローチである。社会的題材でありながら、観客の心を一気につかみ、みずみずしい情感までもすくい取る演出力はローチ家の伝統なのかもしれない。「キャンペーン映画にはしたくなかった」という監督の言葉通り、映画で最も印象深いのは、かつて行われた不正義への非難ではなく、むしろ個人のアイデンティティを奪われた人々それぞれの「Who am I?(私は誰?)」という問いかけである。マーガレットが元児童移民の言葉に真摯に向かい合ったように、ローチ監督のまなざしもまた彼ら一人ひとりに注がれている。大声をあげるのでなく、静かに、けれど揺るぎなく。ジム・ローチ、まさに満を持しての映画デビュー作である。
イギリス、ノッティンガム。1986年。
ここに家族で暮らすマーガレット・ハンフリーズ。仕事はソーシャルワーカー。
ある夜、マーガレットは、見も知らぬ女性シャーロットから、「自分が誰なのかを知りたい」と訴えられる。シャーロットはノッティンガムの児童養護施設にいた4歳の時に、数百人の子どもたちと一緒に船に乗せられ、オーストラリアに送られたという。親も保護者もなしに養子縁組でもなく、子供たちだけを船でオーストラリアに送るなんて。にわかにはその話を信じられなかったマーガレットだが、さらに別の女性ニッキーからも興味深い話を聞く。数年前届いた“多分、僕はあなたの弟です”と伝える手紙。彼女の弟ジャックも、シャーロットと同じようにオーストラリアへ連れて行かれ、姉の居所をようやく探し出して手紙を送ってきたのだ。それをきっかけにマーガレットは調査を始めた。
すると、死んだと聞かされていたシャーロットの母がまだ生きている事実を発見。しかも、驚くべき事に、シャーロットの母は、娘はイギリスの養父母にもらわれたと信じていて、オーストラリアに送られたことなどまったく知らなかった。
続いてジャックに会いにオーストラリアへ向かったマーガレットは、そこにジャックやシャーロットと同じ境遇の人たちが大勢いることを知る。彼らはオーストラリアに到着すると、過酷な環境で働かされたり、虐待されたり、苦しい人生を歩んでいて、自分が誰なのか、母親がまだ生きているのかを知りたがった。マーガレットは、イギリスとオーストラリアを往復し、彼らの家族を捜し出す活動を始める。
オーストラリア。マーガレットのもとには、沢山の人が相談に訪れ、長蛇の列ができた。最初の相談者に付き添って来た男性レンは、「あんたに何ができる」とマーガレットに突っかかるが、実は彼も児童移民で心の底では母親を見つけたがっていた。
やがて、マーガレットの活動はマスコミの注目を集めはじめ、イギリスが子供たちを植民地に送った<児童移民>が、政府の政策によって行われていた事も明らかになる。そして彼女の調査は、しだいに政府レベルの大きな組織をも揺らし始めていった……。
1967年1月14日 生まれ。イギリス、ロンドン出身。
1992年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに入団し、舞台で活躍。映画デビュー作『奇跡の海』(ラース・フォン・トリアー監督、1996)で世界中の注目を集め、アカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされた他、英国アカデミー賞主演女優賞、NY映画批評家協会賞等を受賞。『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(アナンド・タッカー監督、1998)でもアカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネートされている。本作では、インサイド・フィルム・アワード主演女優賞を受賞、サテライト・アワード主演女優賞、オーストラリア・アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。最新作はスティーヴン・スピルバーグ監督の『戦火の馬』。
──この映画で描かれている事実を知っていましたか?
まったく聞いたことがありませんでした。ほとんど知られていない事実だったと思います。移民の方たちはオーストラリアにいるので、オーストラリアではもう少し知られていたとは思いますが、イギリスでは……。本当に酷い出来事で、何と言っていいかわかりません。今では、両国政府の謝罪があったので、多くの人が知る事実になりましたね。
──実際のマーガレットとは会いましたか?
いいえ。会うべきかどうか長い時間、深く考えました。撮影中、毎日、私は“たぶん私は、彼女に会うべきなのかもしれない”と自分自身に語りかけていました。でも、これまで私が実在の人物を演じた時、現実の人を前にすると、いろんな意味で近づきすぎてしまい、客観的になるのが難しくなってしまったんですね。外見でも、声の出し方でも、強く刷り込まれてしまって、物語を語るためには役立たない場合も多かったんです。ただ模倣しようとしてしまうんですね。でもこれは映画で、これは物語です。模倣とは別のやり方で、役を掴まなくてはいけないんです。
──この役のためにどのようなリサーチをしましたか?
まずマーガレット自身の本、それから様々なドキュメンタリーがありました。ただ私にとって最も重要な部分は、エモーショナルなものであり、それは自分自身が家族や子供を持っていることから生まれてくるものでした。その感情が、この役に自分が入り込む想像力になったと思います。もしも自分の子供が、捨てられ、強制的に国外へ送られ、10年も虐待されたらと考えると、感情を抑えることなんてとてもできません。
──ジム・ローチはどんな監督ですか?
撮影の多くは、虐待や親の死に関わるシーンでしたが、ジムは俳優たちがその感情を正しく感じられるように現場をまとめていました。でも「OK、もう1回やろう。今度はもう少し控えめにやってみよう」って、彼はいつも言うんです。これが、彼の持ち味。すべてを適切に、キープする。この映画にはたくさんの語られるべき事があるのに、それをあの強度でキープするなんて、とても私にはできない。映画を見ればきっとそれが分かると思います。
(オリジナルプレス資料より)
1996 | 奇跡の海/ラース・フォン・トリアー監督 |
1997 | ボクサー/ジム・シェリダン監督 |
1998 | ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ/アナンド・タッカー監督 |
1999 | クレイドル・ウィル・ロック/ティム・ロビンス監督 |
1999 | アンジェラの灰/アラン・パーカー監督 |
2000 | 愛のエチュード/マルレーン・ゴリス監督 |
2001 | ゴスフォード・パーク/ロバート・アルトマン監督 |
2002 | パンチドランク・ラブ/ポール・トーマス・アンダーソン監督 |
2002 | レッド・ドラゴン/ブレット・ラトナー監督 |
2002 | リベリオン/カート・ウィマー監督 |
2004 | ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方/スティーヴン・ホプキンス監督 |
2005 | ティム・バートンのコープスブライド※声の出演/ティム・バートン監督 |
2006 | ミス・ポター/クリス・ヌーナン監督 |
2007 | ウォーター・ホース/ジェイ・ラッセル監督 |
2008 | 脳内ニューヨーク /チャーリー・カウフマン監督 |
2010 | オレンジと太陽/ジム・ローチ監督 |
2011 | 戦火の馬/スティーヴン・スピルバーグ監督 |
1965年9月21日生まれ。オーストラリア出身。
1987年からテレビドラマに出演するようになり、1992年映画デビュー。『ムーラン・ルージュ』(バズ・ラーマン監督、2001)で国際的に注目され、ピーター・ジャクソン監督の『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの第2作『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 』(2002)、第3作『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 』(2003)で、広く知られるようになる。2003年には「Gettin' Square」(日本未公開作、ジョナサン・テプリツキ監督)でオーストラリア映画協会賞・最優秀主演男優賞を受賞。その他の主な映画出演作に『ヴァン・ヘルシング』(スティーヴン・ソマーズ監督、2004)、『300 〈スリーハンドレッド〉 』(ザック・スナイダー監督、2007)、『オーストラリア』(バズ・ラーマン監督、2008)、『パブリック・エネミーズ』(マイケル・マン監督、2009)など。本作でインサイド・フィルム・アワード主演男優賞、オーストラリア・アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
1960年4月4日生まれ。イギリス人の両親の元、ナイジェリアで生まれ、1976年にオーストラリアへ移住。国立演劇学校卒業後、シドニー・シアター・カンパニーに所属。1983年映画デビュー。『プリシラ』(ステファン・エリオット監督、1994)でバイのドラァグクイーンを演じ注目を集め、『マトリックス』3部作のエージェント・スミス役で世界的にブレイク。『ロード・オブ・ザ・リング』3部作のエルロンド役でも知られる。オーストラリア映画協会賞・最優秀主演男優賞受賞3回の最多記録を有するオーストラリアを代表する俳優。『ベイブ』、『ハッピーフィート』、『トランスフォーマー』シリーズや『ガフールの伝説』など、声の出演も多い。その他の主な映画出演作に『ウルフマン』(ジョー・ジョンストン、2010)、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』(ジョー・ジョンストン監督、2011)など。ウォシャウスキー兄弟の新作「Cloud Atlas」、『ロード・オブ・ザ・リング』の前日譚『ホビット』2部作が待機している。本作で、オーストラリア・アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞、サテライト・アワード助演男優賞にノミネートされた。
1969年6月6日生まれ。大学で哲学を学んだ後、当初はジャーナリストの道を志した。グラナダテレビジョンのドキュメンタリー番組「World in Action」の仕事を経て、TVドラマの演出を手がけるようになる。主な演出作品に、「コロネーション・ストリート」「ホテル・バビロン」「シェイムレス」「ホテル・ブルー」など。本作『オレンジと太陽』で長編劇映画デビュー。長編第2作を現在準備中。
イギリス、スコットランド出身。1981年より、演劇を中心に、映画、テレビ、ラジオに活躍。ベルリン国際映画祭で銀熊賞(主演女優賞)と国際批評家連盟賞を受賞したケン・ローチ監督の『レディバード・レディバード』(1994)では、実話を基に、イギリスの社会福祉政策の暗部にスポットをあてた。他の映画作品に、ベルリン国際映画祭銀熊賞(主演女優賞)を受賞した「Aimée & Jaguar」(マックス・フェーベルベック監督、1999)、「Almost Adult」(ユーセフ・アリ・カーン監督、2006)など。本作でインサイド・フィルム・アワード脚本賞にノミネートされた。
オーストラリアを代表する衣装デザイナー。これまでに「The Home Song Stories」(トニー・エアーズ監督、2007)、「The Tender Hook」(ジョナサン・オギルビー監督、2008)、『アニマル・キングダム』(デイヴィッド・ミショッド監督、2010)でオーストラリア映画協会賞の最優秀衣装デザイン賞を受賞。本作で、オーストラリア・アカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされた。
オーストラリア出身。アイルランド系の家庭に生まれる。1981年にブレンダン・ペリーとデッド・カン・ダンスを結成し、その活動の傍ら、ソロ活動や他のミュージシャンとのコラボレーションを行う。デッド・カン・ダンスは、1998年に解散するが2005年再結成。1994年より、映画音楽を手がけ始め、『グラディエーター』(リドリー・スコット監督、2000)の主題歌「Now We Are Free」でゴールデングローブ賞音楽賞を受賞。また、日本とも関係が深く、『ICHI』(曽利文彦監督、2008)の音楽監督や、NHK大河ドラマ『龍馬伝』のオープニングテーマ曲を歌ったことでも知られている。他の映画音楽作品に、『ALI アリ』(マイケル・マン監督、2001)『レイヤー・ケーキ』(マシュー・ヴォーン監督、2004)など。本作で、インサイド・フィルム・アワード音楽賞にノミネートされた。
オーストラリア出身。本作では美術を手がけたが、衣装デザインでも活躍。美術としての作品に、インサイド・フィルム・アワード美術賞を受賞した「The Home Song Stories」(トニー・エアーズ監督、2007)や『トライアングル』(クリストファー・スミス監督、2009)、「The Eye of the Storm」(フレッド・スケピシ監督、2011)など。本作でインサイド・フィルム・アワード美術賞を受賞。
オーストラリア出身。リース・ウェイクフィールド、トニ・コレット主演の長編「The Black Balloon」(エリサ・ダウン監督、2008)でオーストラリア映画協会賞撮影賞とインサイド・フィルム・アワード撮影賞、ラダ・ミッチェル主演の「The Wait-ing City」(クレア・マッカーシー監督、2009)でもインサイド・フィルム・アワード撮影賞を受賞するなど、今後の活躍が期待される撮影監督の一人。本作で、インサイド・フィルム・アワード撮影賞にノミネートされた。
オーストラリア出身。1990年代後半より、映画を製作。ヒース・レジャー、ジェフリー・ラッシュ主演の『キャンディ』(ニール・アームフィールド監督、2005)や「Opal Dream」(ピーター・カッタネオ監督、2006)、ジョン・マルコヴィッチ主演の「Disgrace」(スティーヴ・ジェイコブス監督、2008)などを製作した後、2008年に、イアン・カニングと共にシーソー・フィルムズを設立。共同製作第1作目の『英国王のスピーチ』(トム・フーパー監督、2010)は、アカデミー賞の作品賞、主演男優賞など主要部門で4冠を獲得するなど、世界中で大成功をおさめる。続く第2作が本作『オレンジと太陽』。第3作は、マイケル・ファスベンダー主演の『SHAME –シェイム–』(スティーヴ・マックィーン監督、2011)。
ケン・ローチ監督作品の製作で知られるシックスティーン・フィルムズに2003年入社。『やさしくキスをして』『明日へのチケット』『麦の穂をゆらす風』でプロデューサー、レベッカ・オブライエンのアシスタントを務める。初プロデュース作品「Summer」(ケニー・グリナン監督、2008)でBAFTAスコットランドの最優秀作品賞を受賞。本作がプロデュース2作目。
※日本公開作は『邦題』、未公開作は「英語題」で表記
──この映画の始まりについて教えてください。
2002年に初めてマーガレットに会いました。僕は彼女の本を読んでいましたし、イギリスの新聞に1つ、2つ、小さな記事は出ていましたが、まだ多くはありませんでした。彼女はノッティンガムのカフェの上に小さなオフィスを持っていて、そこに会いに行き、座ってお喋りをしました。正直に言うと、最初彼女はほんの少し僕の相手をしようと考えていただけだと思いますが、僕らはあっという間に意気投合してしまったんです。その後数年の間、彼女と連絡をとりつづけ、しだいに彼女をより深く知るようになりました。そして彼女が自身の経験について詳しく話してくれるようになった頃、僕は彼女自身の旅をドラマとして描こうと考え始めたんです。カミーラ(ブレイ、プロデューサー)と僕は、2005年にロナ(マンロ、脚本家)と会い、その数ヵ月後に、ロナと僕はマーガレットと会うためにオーストラリアのパースに行きました。ロナと僕は数週間をマーガレットと過ごし、児童移民の経験者である二人の特別な人物とも会いました。僕たちは、これが語られるべき偉大な物語だと感じていたんですが、この最初のオーストラリアへの旅で、この題材から自分たちなりのやり方をどうやって見つけられるか、いかに物語を組み立てるか、いかに物語を語るかを理解し始めました。ロナは、実在の元児童移民の人たちと多くの時間を費やして、彼らの物語をたくさん聞き、多くの題材を集めることができました。しかし、その段階ではまだ脚本はなくて、ただアイディアと走り書きがあっただけでした。
──どのように脚本を練り上げていったのですか?
どのようにアプローチすべきかは分かっていました。それは明らかにマーガレットの物語だということです。彼女こそがキャラクターで、彼女の目を通して物語は描かれる。そのために、ロナは自分自身を頭から追い出して、書き始めました。僕たちは、この映画を“キャンペーン映画”には決してしたくなかったので、シンプルにして煮詰めていこうと思いました。僕は、自分が誰なのか、何がそれを規定するのかというアイデンティティの問題に関心がありました。もしすべてから切り離されてしまったら、一体どうやってアイデンティティと折り合いをつければいいのでしょう?
脚本のプロセスはとてもチャレンジングでした。実際の出来事は長い期間にわたっていますので、この物語にふさわしい一貫した語り口を見つけることが重要でした。この映画は、さまざまなテーマ──たとえばカトリック教会の関与について、恵まれない人々の保護における国家の役割について──枝分かれしやすい物語でもあります。僕たちは、たえず物語の原点に帰らなくてはならないと感じていました。
──エミリー・ワトソンがマーガレット役を演じることになった経緯は?
エミリーは、初期の頃から第1候補でした。脚本の5稿目か6稿目の頃に、彼女と連絡を取りました。今から数年前のことですが、僕らが初めて会ったとき、ちょうど彼女の第2子が生まれたばかりでした。ロンドンの街が雪に覆われていた日で、とても印象的で良く覚えています。僕は川沿いを歩いて待ち合わせの場所へ行き、二人でカフェに座ってホットチョコレートを飲んで、脚本を様々な角度から語り合い、4時間も過ごしたんです。この瞬間から、彼女はすでにマーガレットでした。
──この映画の撮影中に、政府の謝罪が行われた訳ですが、それについてどう感じましたか?
何年も何年も自分たちが取り組んできたプロジェクトだったので、とても奇妙な気分でした。すべてのことが、いちどきに起こったようで、本当に不思議でした。
──マーガレットはどうでしたか?
謝罪によって彼女の活動が認められたわけですが。彼女は自分が祝福されたいと思うような人間ではないんです。彼女は自分をリストの1番下に置くタイプの人です。たしかにある意味では勝利だったのかもしれませんが、そんなことを感じる瞬間はまったくありませんでした。
──初長編監督として、“ローチ”という姓を持つことの良い面、悪い面を教えてください。
この質問にどうやって答えればいいんでしょう!
僕にとって、これは本当に大きな挑戦で、非常に大きな旅なんです。もちろん、多くの点でそれは古典的に言うところの両刃の剣です。ただ僕はこれについてどうにもできないんです。ただそうだっていうことです。それでも父は、何かあれば1番最初に話す相手ですし、映画制作のあらゆる側面について、しじゅう話しています。その点については素晴らしいと思っています。でも、父は、ただ“父”だってことですね。
(オリジナルプレス資料より)