SOIS BELLE ET TAIS-TOI!

美しく、黙りなさい

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INTRODUCTION
修復の趣旨から、日本では配信・テレビ・パッケージ化はなく、劇場上映と自主上映のみに限定されています。
伝説的女優デルフィーヌ・セリッグが、シャンタル・アケルマン監督作『ジャンヌ・ディエルマン』への出演をきっかけに自ら制作に着手した、映画とジェンダーを語る歴史的重要作。
女優デルフィーヌ・セリッグ。アラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』(1961)、フランソワ・トリュフォー監督の『夜霧の恋人たち』(1968)、ルイス・ブニュエル監督の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)など多数の作品で観客を魅了。近年は、シャンタル・アケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975)が英国映画協会2022年度版ランキングで「映画史上のベストワン」に輝き、今ふたたび脚光を浴びる伝説的女優です。 彼女はジェンダー差別に声をあげ、活動した人でもありました。デルフィーヌ・セリッグが監督として唯一残した長編ドキュメンタリー、それが映画とジェンダーを語る歴史的重要作『美しく、黙りなさい』です。
ジェンダーについて語ることにリスクがあった時代。それでも出演した23人の女優たち。デルフィーヌが彼女たちに用意した質問は2つ。
1.「もしあなたが男性だったとしても、この職業を選びましたか?」

2.「他の女優と友好的な場面を演じたことがありますか?」
登場するのは、ハリウッドとパリで活躍する23人の女優たち。ジェーン・フォンダ、シャーリー・マクレーン、ジュリエット・ベルト、アンヌ・ヴィアゼムスキー、マリア・シュナイダーら著名な映画女優からテレビドラマの女優、無名の女優などさまざま。デルフィーヌは、彼女たちに2つの質問を用意しました。女優たちが質問に答え、脱線し、繰り返すことで浮き上がる現実。率直に親密に、時にユーモラスに、デルフィーヌは彼女たちそれぞれの思いを引き出します。撮影は、1975年と1976年。当時、女優がジェンダーについて語ることは、男性中心の映画業界にあって、ブラックリストに載りかねない、リスクのあることでした。それでも出演した女優たち。この映像には彼女たちの勇気も映っています。
原題は「Sois belle et tais-toi !」、英語題は「Be Pretty and Shut Up!」。
ジェンダー差別を象徴する決まり文句をタイトルにしています。
原題は「Sois belle et tais-toi !」、英語題は「Be Pretty and Shut Up!」。「美しくしていなさい、そして黙っていなさい」という意味のこの言葉は、元々はフランスの映画・演劇業界などで女性に対して使われていたそうです。今回の日本版メインビジュアルは、ビデオカメラを構える監督、デルフィーヌ・セリッグの姿を前面に、その後ろに映画に登場した女優ヴィヴァが映り込んでいる写真と、「Sois belle et tais-toi !」という言葉を配置。「tais-toi (黙りなさい)」に引かれた赤いラインで、「いいえ、私たちは黙りません」という意志を反映しました。
*「Sois belle et tais-toi」をもじって「Sois belle et ne te tais pas」(美しく、黙らないで)という用例もあり、コラボレーション・グッズのTシャツにはこの言葉を使っています。
COMMENT
ダンカン・ヤンガーマン
(デルフィーヌ・セリッグの息子/本作の撮影現場にも参加)
デルフィーヌの息子ダンカン・ヤンガーマンさんは撮影当時19歳。
母がジェンダー平等に関わっていく経緯も、そして本作の制作の裏側も、強く記憶していました。
“母がカメラの前でなく、カメラの後ろに立ちたいと、自分の映画を作り始めたのは『ジャンヌ・ディエルマン』がきっかけだと思います。25歳のシャンタル・アケルマンが、支援者がほとんどいない中で、あのように野心的な映画を作り上げたことは、母に勇気を与えました。彼女はきっと「シャンタルも成し遂げたのだから、自分にもできるはず」と思ったのでしょう。50年後にこの映画がまだ関心を持たれていて、日本の配給会社に私が話を聞かれていると知ったら、母は驚くでしょうね。”
UN FILM DE DELPHINE SEYRIG
監督:インタビュアー:デルフィーヌ・セリッグ
1932.4.10-1990.10.15
『去年マリエンバートで』、『夜霧の恋人たち』、『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』、『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』などで知られる伝説的女優。
誕生~10代
  • イギリス委任統治領シリア、現在のレバノンのベイルート生まれ。パリ10区で58歳で死去。
  • 父はスイスの外交官で考古学者、母は貴族階級の出身で航海士でルソー研究者、兄は音楽家。父アンリはベイルートに文化担当官として赴任し、デルフィーヌはそこで生まれた。
  • 10歳の時に、父がアメリカに赴任。14歳まで過ごす。父はアンドレ・ブルトンなど、第二次世界大戦中にアメリカへ亡命した多くのヨーロッパの芸術家たちと親しい交流があった。
  • その後、再びベイルートに。これらの経験が、彼女に、国や地域に縛られない“異邦人”性を与え、それが彼女の「個」を成熟させたと研究者の多くは語っている。
パリへ~女優として
  • 高校時代に俳優になることを決意し、演劇を学ぶためにパリへ。当時はボヘミアンな少年のようなスタイルだった。
  • 1950年、パリでアメリカ人の若い画家ジャック・ヤンガーマンと結婚(二人の息子がダンカン・ヤンガーマン)。なかなか仕事を得られなかったので、夫とともにニューヨークへ。
  • 1959年に彼女が初めて出演した映画は短編無声映画『Pull My Daisy』。ジャック・ケルアックの原作をロバート・フランクが監督。ケルアックやギンズバーグらビートニクの中心人物たちが出演していた。与えられた役はいわば「男を抑圧する女性役」だったので、彼女はこの作品のジェンダーの扱いを恥じていたともいう。
  • 共通の友人だったウィリアム・クラインを通じて、新作の主役を探していたアラン・レネと出会う。レネは、デルフィーヌに30年代ハリウッド女優の神話性を見出し、主人公のイメージを創造。1961年、『去年マリエンバートで』発表。その後、15年以上にわたり、デルフィーヌはある種の距離感を保ちながら、独特の存在感で数々の作品に出演。
ジェンダー差別に声をあげて
  • 1971年、デルフィーヌは、避妊手段と人工妊娠中絶の自由化を求める女性たちの請願書「343人のマニフェスト」に署名。このマニフェストはシモーヌ・ド・ボーヴォワールが起草、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フランソワーズ・サガン、マルグリット・デュラス、アニエス・ヴァルダらも名を連ね、この行動が、シモーヌ・ヴェイユ保健大臣のもと、ヴェイユ法とも呼ばれる人工妊娠中絶の合法化実現を後押ししたと言われている。
  • 1974年、先鋭的なヴィデオアーティストとして知られるキャロル・ルッソプロスと出会う。
  • 1975年、国連は「国際女性年」を宣言。デルフィーヌは、キャロルとベイルート時代からの友人イオアナ・ヴィーダーらとビデオ集団「服従しないミューズたち(Les Insoumuses)」を設立。主演作『ジャンヌ・ディエルマン』やケイト・ミレットの『Three Lives』などさまざまな影響もかさなり、自身が監督する本作の撮影を始める。
  • 1982年、キャロル、イオアナとともに、女性の権利運動の記録・アーカイヴを推進するボーヴォワール視聴覚センターを設立。
STAFF
Caméra / Montage:Carole Roussopoulos
撮影/編集:キャロル・ルッソプロス
1945.5.22-2009.10.22
スイスの映画監督でフェミニスト。フランスの女性解放運動に関する先駆的なドキュメンタリー映画で知られる。キャリアを通じて約150本のドキュメンタリーを制作。1974年、デルフィーヌ・セリッグと出会う。1975年、セリッグ、イオアナ・ヴィーダーらとビデオ集団「服従しないミューズたち(Les Insoumuses)」設立。1982年、3人は、シモーヌ・ド・ボーヴォワールにちなんで名付けられたボーヴォワール視聴覚センターを設立。セリッグとの協働は、ドキュメンタリー映画『デルフィーヌとキャロル』にも記録されている。
Montage:Ioanna Wieder
編集:イオアナ・ヴィーダー
1932.6.20-
ルーマニアのブカレスト生まれ。フランスの女性解放運動に関わり、1975年には、セリッグ、ルッソプロスらとビデオ集団「服従しないミューズたち(Les Insoumuses)」設立。1982年、3人でボーヴォワール視聴覚センターを設立。センターでは制作のみならず、配給や上映番組の編成も手がけた。娘のクレール・アテルトンは、シャンタル・アケルマン監督作品の編集者として知られている。
23 ACTRICES
ジル・クレイバーグ
Jill Clayburgh
ジル・クレイバーグ
1944.4.30-2010.11.5
マリー・デュボワ
Marie Dubois
マリー・デュボワ
1937.1.12-2014.10.15
デリア・サルヴィ
Delia Salvi
デリア・サルヴィ
1927.10.27-2015.3.2
ジュリエット・ベルト
Juliet Berto
ジュリエット・ベルト
1947.1.16-1990.1.10
パティ・ダーバンヴィル
Patti d’Arbanville
パティ・ダーバンヴィル
1951.5.25-
メイディ・ノーマン
Maidie Norman
メイディ・ノーマン
1912.10.16-1998.5.2
ルイーズ・フレッチャー
Louise Fletcher
ルイーズ・フレッチャー
1934.7.22-2022.9.23
ジェーン・フォンダ
Jane Fonda
ジェーン・フォンダ
1937.12.21-
シンディ・ウィリアムズ
Cindy Williams
シンディ・ウィリアムズ
1947.8.22-2023.1.25
リタ・ルノワール
Rita Renoir
リタ・ルノワール
1934.1.19-2016.5.4
ジェニー・アガター
Jenny Agutter
ジェニー・アガター
1952.12.20-
リュス・ギルボー
Luce Guilbeault
リュス・ギルボー
1935.3.5-1991.7.12
シャーリー・マクレーン
Shirley MacLaine
シャーリー・マクレーン
1934.4.24-
アンヌ・ヴィアゼムスキー
Anne Wiazemsky
アンヌ・ヴィアゼムスキー
1947.5.14-2017.10.5
ローズ・ド・グレゴリオ
Rose de Gregorio
ローズ・ド・グレゴリオ
1934.10.17-2023.8.17
マリア・シュナイダー
Maria Schneider
マリア・シュナイダー
1952.3.27-2011.2.3
ヴィヴァ
Viva
ヴィヴァ
1938.8.23-
キャンディ・クラーク
Candy Clark
キャンディ・クラーク
1947.6.20-
バーバラ・スティール
Barbara Steele
バーバラ・スティール
1937.12.29-
ミリー・パーキンス
Millie Perkins
ミリー・パーキンス
1938.5.12-
マロリー・ミレット=ジョーンズ
Mallory Millett-Jones
マロリー・ミレット=ジョーンズ
1939.11.19-
スーザン・ティレル
Susan Tyrrell
スーザン・ティレル
1945.3.18-2012.6.16
エレン・バースティン
Ellen Burstyn
エレン・バースティン
1932.12.7-
COMMENT
半世紀前、ウーマンリブが世界を変えた。「今は地球の歴史上で女性であることが最高の瞬間。今の私は男になりたくない」というエレン・バーステインの発言にぐっと来た。このことばを残しておいてくれたセリッグ監督に感謝。
上野千鶴子
社会学者
これはいったい、いつ発された問いで、いつ口にされた答えなのか……
だんだんわからなくなってくる。
そこにこそ、本作が「今」観られるべき理由がある。
ライムスター宇多丸
ラッパー・ラジオパーソナリティ
赤裸々な白黒の告白に、目が離せない。
彼女達の戸惑いや憤りは今の世の中でも、変わらず存在している。
この作品にあるものは、時代を経て女性だけの問題ではなく、全てのそうであるべきだと決めつける事への警鐘に見えた。
今、この映像を見られる事に感謝したい。
塚原あゆ子
監督
50年で、何が変わった?
「黙っていなさい」
その言葉は今も形を変えて誰かを縛り続けている。
沈黙はときに加害性へ加担すること。
愛やリスペクトだけではこの世界を生き抜けないらしい。
スクリーンに映る彼女たちは、力強く、誇らしく、あなたを鼓舞する。
どうか考えることをやめないで。
そして、黙っていないで。
円井わん
俳優
デルフィーヌ・セリッグがこんな映画を残していたなんて!
1970年代を生きた女優たちが吐き出す、
怒り、嘆き、鋭く聡明な言葉に、何度も胸を突かれる。
彼女たちはぜんぶ知っていたのだ。
山内マリコ
小説家
映画業界は男性優位社会で、
脚本は現実的な女性を登場させず、
女同士の親密さは描かれない。

彼女たちはセリッグの前でこそ告白する。
これはいつ過去形になりうるだろうか。
ゆっきゅん
DIVA
完成は1976年。映画とジェンダーについて語ることにリスクがあった時代に勇気をもって語った女優達が、この映画の被写体だ。
どんなリスクがあろうとも声を上げずにはいられなかった
彼女達が切り開いてくれた道の延長上に私も立っている。
残念ながら現在でもこうした話題を口にすることは
(当時とは比べ物にならないが)
俳優にとって、とりわけ女性にとってリスクがあり、勇気がいることだ。
現在のエンタメ業界に生きる端くれとして、
過去と未来を繋ぐ点となるべく私も声を上げ続けたい。
そう思わせてくれる映画だった。
吉田恵里香
脚本家・小説家
仕事を始めた40年前より、格段に今の方が自由になっている。 
仕事場にも女性が増え、しっかりと意思を持って働いている。
 結婚もし、家族を作り、夢を叶え仕事に尽くしている姿を見るようになった。 
たくさんの女性たちの経験と学び、挑戦、闘いが、今の私の立っている場所を照らしてくれていると思っている。
 今も次世代の方々の新鮮なエネルギーにも励まされている。
 私は、美しくもなく、寡黙でもない。 
健康的な精神の普通のおばさんになって、清々と俳優を続けて生きている。 
大きな決定権を持っている人が男性である場合はまだまだ多い、そして大きな決定をする人が女だって味方とは限らない。 
私の声はかなり小さい。 
でもたくさんの小さな声がまとまって、大きな声になったら変わらなかったことが変わるかもしれない。 
語られる物語が人間の多様性、豊かさを画き、私にも私以外の人にも、生きる味方がいることを教えてくれるのであれば、それでいいと思う。 
この作品でインタビューを受けている方々の声の大きさは様々だけれど、今、その声を聞くことができるということがとても嬉しい。
渡辺真起子
俳優