映画『巡礼の約束』

『巡礼の約束』を観る前、観た後にもっと知りたくなる“五体投地”のこと、“聖地巡礼”のこと

『巡礼の約束』を観る前、観た後にもっと知りたくなる“五体投地”のこと、“聖地巡礼”のこと

(回答者:駒澤大学 別所裕介)
五体投地は、チベット以外のどの地域でも、どの宗派でも、行っている礼拝方法ですか?
五体投地はそもそも「帰依」(仏法に心から従うこと)の作法なので、どの地域・宗派であっても見られます。
東アジア(大乗仏教圏,中国・台湾・韓国含む)で寺院に行くと「跪拝」(両膝を地面につけて手に線香を持って仏像に祈る)をしている人を多く見かけます。また東南アジア(上座部仏教圏)では正座や跪拝の姿勢で祈りを捧げる人を多く見かけます。ですが、私が以前、世界中の仏教徒が集結するブッダガヤで観察したところでは、大菩提寺の周りで多くの人が地面に体をこすり付けるようにして祈りを捧げているのを目にしました。やはり信仰心が一番高まる場面では「心の奥底からの敬意」を表現するのに、最も頭を低くして、全身全霊を持って対象に向かう五体投地の作法が尊ばれるのだと思います。
ちなみに日本でも、古いお寺では入堂時などに儀式的に五体投地礼を行います。
聖地巡礼を出発地点から五体投地でやるのはチベットだけですか?
五体投地という礼拝方法は世界各地に見られますが、通常は特定の対象(仏像や高僧)に対してその場で「帰依する心」を表現するために行います(これを「五体投地礼」といいます)。他方、巡礼の出発地点から目的地まで、移動手段にこの五体投地礼を採用するのはチベットだけです。
理由としては、①より困難な方法で聖地へ行くことで高い功徳が積めるから、ということと、そもそもの前提として、②「仏法に深く帰依し、心から祈りを捧げる時間を持ちたい」と願う世俗の信仰者の強い願望がまず先にあり、その行為に専念する手段として、日常生活の場を離れて聖地や聖山などの特定の場所へ向かう(=巡礼)場合に、一部の敬虔なチベット人はそこへの移動過程もすべて「信仰行為」であると考えるのです。
要するに、日常の俗事に関わらざるを得ない生活空間を離れること自体が仏道修行の始まりであり、その非日常の旅自体が信仰のチャンスであることを強く意識して、「五体投地」という困難な移動手段を選択することになります。
他の地域の仏教の聖地巡礼で有名なものはありますか?
やはりなんと言っても筆頭は先ほど上げた「ブッダガヤ」です。ここには文字通り世界中から信徒が集まってきます。東アジアや東南アジアのみならず、欧米の白人仏教徒や、インドで改宗した新仏教徒、バングラデシュのチャクマ仏教徒など、マイノリティの人々もたくさん見られます。中でもチベット系仏教徒(ブータンなどヒマラヤ諸国を含む)はプレゼンスが高く、チベット人は中国に併合される以前からこのブッダガヤを目指して旅を重ねてきました。そのためのガイドブック(インド巡礼の指南書)も古くから出回っているほどです。私がブッダガヤ門前のチベット僧院で出会ったアムド(青海チベット)の老僧は、1950年代に実家を離れてラサ経由でインド巡礼に出て、ブッダガヤに長期滞在していましたが、中国の侵攻によって国境が閉鎖されたため帰れなくなり、そのまま60年余りもこの地で暮らし、故郷とも連絡がとうに途絶えてしまっている、と話していました。
近年ではダライラマ14世やカルマパ17世を始めとする高僧がブッダガヤで大規模な法要を主宰することが多く、その機会にブッダガヤを訪れると、現代仏教がいかにインターナショナルな宗教であるかを身をもって知ることができます。ブッダガヤは四大仏蹟のひとつで、ほかにもルンビニ(生誕の地)、サールナート(布教の地)、クシナガラ(入滅の地)が大変有名で、いつも世界各国の巡礼者であふれかえっています。ここでも、チベット人が熱心に五体投地に励んでいるのを見ることができます。
映画に登場する「ラサ」のほか、チベットには巡礼者が訪れる聖地としてどんな場所がありますか?
たくさんあります。チベット高原には、大きな峡谷や川筋ごとにそれぞれの地域で崇拝される巡礼の聖地があります。
大抵は、高い功徳を積んだお坊さんが訪れて加持祈祷や法要を営んだ場所とか、神通力に長けた密教行者が立ち寄って瞑想したりした場所が、奇跡の物語と共に長く言い伝えられ、そうした場所に祠や僧院が建てられて、地域ごとの自慢の場所になっていくことによります。ですからよく名の知られた高僧たちが布教の為に移動したルート上のめぼしい場所(山や洞穴、湖や泉のほとり)はみな聖地となり、チベット全土に網の目のごとくネットワークが張り巡らされています。その中でも、特定の干支の年に巡礼が大発生する聖地があり、例えば西チベット最大の聖山と呼ばれるカイラスは「午年」になると巡礼者が急増します。ほかにも、申年の聖地である「ツァリ」(南チベット)や辰年の聖地「カワカルポ」(雲南)、未年に回ると縁起のよい聖湖「ナムツォ」(中央チベット)などがあります。
このように特定の聖山や聖湖が干支と関連付けられているのは、それぞれの聖地の主役である主神(多くは山神や女神)が「午年」や「未年」の生まれであるためで、その年周りに合わせて巡礼をすると通常に倍する高い功徳が積める、と言い伝えられています。
ひとつ注意しておきたいのは、こうした自然の中の聖地が多く「チベット人の文化圏の境界地域」にあるということです。カイラスもツァリも、ネパール国境に程近い位置にあり、後者は現在では巡礼ルートが一部ネパール領にかかっているため、昔のような巡礼を自由に完遂することができなくなっています。なお、同様のことは東側の異文化である漢族地域との境目についてもいえ、アムド(青海チベット)には青海湖、カム(四川チベット)には峨眉山など、広くチベット人に知られる聖地が昔から信仰を集めてきました。
「長い時間かかるので巡礼にいけるのはお金がある人」と言う人がいましたが、本当ですか?
チベットの巡礼は「仏法に深く帰依し、心から祈りを捧げる時間を持ちたい」と願う世俗の信仰者の強い願望が生み出す信仰行為です。その「信仰のための時間」をどのぐらいのスパンで考えるかは、個々人のこれまでの人生遍歴によります。日常生活の忙しさにかまけて深い信仰に沈潜する時間を持てなかった人は、どんなに遠い場所であろうと、そこへの巡礼を「自らの心の安寧と来世のための、一生に一度のチャンス」というほどの意気込みで捉えています。
もちろん、経済的に恵まれた境遇、たとえば都市部の裕福なチベット人なら、巡礼のために長期間家を留守にしても問題は少なく、余裕を持って旅に出られることは確かです。しかし、家のことを気遣い、躊躇やためらいを覚えながらも、自らの信仰上の達成を重視する農村部のチベット人は、一度巡礼に出てしまえばその目的を達成するまでは故郷に帰らない覚悟なので、乞食をしてでも巡礼を続けます。
私は、調査でよく訪れるチベットの小さな村に滞在していていつも感じるのですが、おそらく、村の生活で激しい労働に身をすり減らすようにしてめまぐるしく働いている人ほど、「自分がちゃんと信仰していない、本来やるべきことを今生きているうちに達成できていない」という思い、潜在的な“焦り”のような気持ち、を強く持っているように感じます。そうした人々は、日常生活を離れて遠くの聖地へ巡礼する、という移動行為自体に「信仰する(できる)喜び」をかみ締めているのだと思います。
チベットで出会う巡礼の人々が往々にして開放的で陽気で、生き生きと充実した時間をすごしているように見えるのはそのせいだ、と感じます。
チベットでの五体投地の巡礼はいつごろ始まったのでしょうか?
巡礼研究で著名なフランスのチベット学者によると、チベットの古代統一王朝である7世紀の吐蕃の時代から、後期密教(インド直伝の秘儀的な仏教)の伝承が始まる11世紀頃まで、チベット人が仏教信仰の一環として「聖地巡礼」を行っていたことを示す文献は存在しないそうです。 12~13世紀になると、ミラレパ(1040-1123)やゴツァンパ(1189-1258)など、在家の密教行者がカイラスを始めとする聖地で瞑想修行に励むようになります。しかしその時点でも、今日見られるように「聖なるものを中心として右回り(時計回り)に周回する」というインド様式での巡礼が行われていたという確たる証拠は見つかっていません。以上のことから、チベットにおける一般的な巡礼活動は13世紀より前には遡れません。
さらに、今日見られるような民衆的な巡礼活動については、ミラレパなどの著名な行者に対する信仰が一般社会に広く浸透するようになった中世期(15~16世紀)頃になってようやく民間で徐々に興隆してきたのではないかと推測されます。ミラレパはチベット仏教のカギュ派という宗派で特に尊崇されるため、この宗派が地盤を持つ東チベット(カム地方)の人々は、この聖者が数多くの事跡を遺した場所であるカイラスに強いあこがれを持っています。彼らは数千キロの道のりもいとわず、東チベットの故郷の村からラサを経由してカイラスまで、徒歩や五体投地で巡礼にやってきます。こうした遠距離巡礼の伝統はおそらく17世紀ごろまでにはすでに固まっていたものと思われます。
巡礼でラサを訪れる人はどのくらいいるのでしょうか? また、巡礼者の増減に何か特徴はありますか?
巡礼に特化した統計が存在しないため、ここでは「観光」に巡礼を含める形でお答えします。
観光局の統計では、ラサへの観光客数は年々20%を超える伸び率で増え続けています。民族運動がチベット全土で盛り上がった2008年の観光客総数は224万人で、前年の半分にまで落ち込んでいますが、その後は順調に回復し、2009年561万人、2013年800万人、2015年に1179万人に達しています(いずれも延べ数)。チベット自治区の総人口が270万ですので、2015年には実にその4倍以上の数の観光客がラサへ押し寄せていることになります。
外国人の訪問数も着実に増えています。2007年の観光客のうち最も多かったのは日本人で78651人となっています。日本に次いで多いのがアメリカ、ドイツ、韓国などです。しかし外国人観光客の全体に占める割合は1割にも満たず、9割は国内観光客が占めています。無論、そのほとんどは漢民族です。
一方、チベット人の巡礼者が何名か、という正確な数字を示す資料はありません。現在、チベット自治区内の旅行者(チベット人も含む)には「通行証」と呼ばれる公安局発行の通行手形の取得が義務付けられています。これはチベット人の流動人口を管理する目的で設けられた制度で、今後アムドやカムにおいても施行される予定です。当然当局は、巡礼を目的としてラサを目指すチベット人の数を把握しているはずですが、そうした情報は秘匿されています。しかしいずれにしろ、鉄道(2006年、ラサ直通の路線が開通)・飛行機・バスなどの交通機関を利用してラサへ向かうチベット人の波は常に途絶えることはありません。その中のごく一部に、五体投地でラサを目指そうとする信仰深い人々も見られるわけです。
なお、巡礼者の増減ですが、一般に新年(旧暦)の前後と夏に多くなります。チベット人巡礼者の場合は生業のリズムとも関係があり、牧畜民の場合は家畜関連の労働負担が減る冬や秋、農民の場合は収穫が済んだ秋口や種蒔き前の時期に出かけることが多くなります。逆に3月は下火になります。これは2008年の3月事件以来、毎年この月にラサ市中の警備や監視が厳しくなり、トラブルに巻き込まれるリスクが高くなるためです。
出発地点から五体投地で向かう人は、多いのでしょうか?バスや鉄道を使う人たちの方が多いのでしょうか?
もちろん、バスや鉄道、さらには飛行機を使っていく人がいまは大半です。しかし、五体投地で村から出発する人もチベットのあらゆる地方で万遍なく見られます。中央チベットだけでなく、アムドでもカムでも、一定数の人が「最初から五体投地でいこう」と心に決めて出発します。先ほども少し触れましたが、五体投地で長距離を移動する巡礼集団の代表格はカム地方、中でもジェクンド地域(玉樹チベット族自治州)の人々です。それは彼らがミラレパを心から慕っており、カイラスやツァリ、ラプチ(南チベット)といったミラレパゆかりの聖地を、時間をかけてじっくりと経巡りたい、という強い願望をもっていることによります。これはたとえて言えば、日本で弘法大師・空海を慕う人々(多く真言宗にゆかりのある信徒)が遠路はるばる四国を訪れてお遍路の列に加わるのと似ています。空海が四国遍路道の開祖であるならば、ミラレパはカイラスを始めとするヒマラヤの聖山巡礼の開祖ということになります。開祖の事跡を直接追体験することは信徒にとって何よりも大切な信仰実践であるため、特にカギュ派信徒の多いジェクンドには今でも五体投地でカイラスへ向かおうとする人が一定数存在しているのです。
なお、80年代中頃にカイラス巡礼について調査した日本人(玉村和彦氏)の記録と比べると、現在は五体投地による巡礼者の割合は大きく減少しています。その原因が、交通機関の発達を始めとする近代化の影響にあることは間違いありません。
五体投地のやり方には種類があり、少しずつ違うようです。やり方が違う理由は何なのでしょうか?
簡単にいうとその違いは巡礼の遂行によって得られる「功徳」の量の違いです。一回の投地に費やす歩数(7歩、3歩、あるいは一回の投地で自分の体の横幅の分だけ進む「メトコ・マ」などバリエーションがある)にしろ、口の中で唱えるお経(「マニ」「ドゥカル」「ジョマ」などがある)にしろ、投地のスタイル(1回の投地ごとに前方に勢いよく全身を投げ出して前に進んでいく方式(映画本編の場合がそう)と、投地の際に一度その場で屈みこんで額を地面につけてから改めて全身を前に投げ出す方式の2つがある。後者は二度投地している勘定になるため、前者より功徳が高いといわれる。因みに私は4年前、アムド地方の著名な聖山を五体投地で廻ってみたのですが、この時は付き添いで来てくれた義姉のやり方に倣って、後者のスタイルで巡礼をしました。1周約9㎞の道のりを廻り終えるのにおよそ6000回の五体投地が必要で、3日間かかりました。
いずれにしろ、どのやり方を選ぶかはあくまでも本人たちの問題です。ラマはただそれらの違いがどのような「功徳」の結果として現れるかを彼らに説明して聞かせる役割を果たすだけです。当然、より困難なやり方(メトコ・マは、一回の投地につき自分の背丈の分だけ前に進める通常の五体投地に比べ、3倍以上の時間がかかります)ほど、高い功徳を得られる可能性が高いわけです(あくまでも可能性であって、すべては実践者本人の集中力や精神力という心の問題にかかってくるわけですが)。
補足ですが、五体投地巡礼者が「手を叩いている」ように見えるのは錯覚です。日常生活において五体投地の礼拝を行うときには最初に頭頂部で合掌をしますが、その際には日本式に掌をペタっとくっつけて合掌するのではなく、ちょうど掌の内側にハスの花びらを包み込むような感じで、両手の間に少し空間を作って指先だけをふわりとくっつけるように合掌をします。これが五体投地の巡礼者になると、両手にゲタのような形の木板を装着しているため、まず頭頂部で指だけをあわせるように両手の板の先端をくっつけて合掌し、さらに口の前、胸の前で合掌をしてから地面へ投地する、ということを繰り返すわけです。その中に手を意識的に叩こうとする動作はありません。また、合掌の場所と回数については、「身(行い)・口(言葉)・意(心)」と呼ばれるように、通常は頭頂部と口、胸元の3箇所で手を合わせるやり方が一般的には多く見られます。
五体投地の巡礼は、往復やるのでしょうか?片道だけ五体投地で、帰りはバスで帰ってくるような人もいますか?時に途中で挫折してやめてしまう人もいるのですか?
今回の一連の質問の中ですでに幾度か挙がっていますが、チベット人の五体投地巡礼は、「仏法に心から従う」という気持ちを全身で表明するもっとも敬虔な信仰実践です。巡礼者は、五体投地で目的地まで行く、と心に決めたときに、何が何でもやり遂げるつもりで腹を括っています。チベット人は、こと神仏や信仰に関わることについては、よほどの決心をしてからでないと簡単には他人に口外しません。一旦口に上せたら必ずそれを実現せねばならず、軽々しくそうした誓いを立てることは信用にも関わるし、何よりも人前で赤恥をかくことになります。ですので、よほどのこと(大事故や病気など)がない限り、途中で心が折れてやめてしまう、という人は現れません。特に巡礼については、質問の②や⑤ですでに述べていますが、日常のしがらみを離れてまっすぐ信仰一筋に生きられる千載一遇のチャンスと捉えているため、滅多なことでは諦めず、そこに聖地まで通じる道があり、健康な体があるのであれば、絶対に最後までやり遂げるべき、と強く心に思い決めているのです。
なお、映画の中では付き添いの娘二人が途中でいなくなってしまいますが、主人公のひたむきで思いつめた気持ちと裏腹に、単に勢いで付いてきただけの若い付添人にはそこまでの覚悟がなく、友人への義理で気まぐれに参加していたに過ぎなかった、ということになると思います。
それから片道か往復かということですが、五体投地は往路のみです。行きは「神様に会いにいく」ための神聖な目的を伴った行為ですが、帰りはすでに目的(聖地を五体投地で周回する)を達成し、元の日常生活に戻っていくための単なる移動のプロセスなので、五体投地をやる必然性はありません。現在は道路網と交通機関が大変発達しているので、ほとんどの人が帰りはバスや乗り合いタクシーで故郷の村まで戻ってきます。

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