僕は、人間や植物や動物、そして幽霊たちの間で魂が転生すると信じています。
『ブンミおじさんの森』の物語は、人間と動物の関わりを描いていますが、同時に両者の境界を消してしまう話でもあります。映画を通じて出来事が描かれると、それはクルーやキャスト、そして観客とも分かち合える記憶になります。新しい記憶の層は(疑似体験ですが)、観客の経験の中で大きくなっていきます。この点で、映画を作ることは人工的に前世を作り出すことに似ているともいえます。このタイムマシーンの内部を探索することに、僕は興味があるのです。不思議な力が明らかにされるのを待っています。かつて黒魔術と呼ばれたものが、科学的な事実として読みとかれていくように。僕にとって映画制作は、エネルギーのすべてを充分に活用しきれていない水源のようなものです。心の内部の働きがいまだ完全に解明されていないのと同じように。
また僕は、文化や種の破壊、絶滅の過程に興味を持つようになりました。ここ数年タイでは、軍事クーデタで煽られたナショナリズムが、イデオロギーの対立を生み出しました。道徳警察として、「不適切」な活動を禁止し、それらを根こそぎにする政府機関が、今、タイには存在するのです。そのことと、ブンミおじさんの物語、おじさんが信じていることを関連づけないわけにはいきません。
ブンミおじさんは、何か消えゆくもの、すなわち昔ながらの映画館や劇場のように廃れてゆく何か、現代的な風景の中には居場所のなくなった古いスタイルの象徴なのです。
アピチャッポン・ウィーラセタクン
1970年、バンコク生まれ。タイ東北部のコンケーンで育つ。両親はともに医者で、少年時代は病院が遊び場だった。幼少時からアートや映画に興味を持ち、映画館に通いだす。地元のコンケーン大学で建築を学び、24歳の時にシカゴ美術館附属シカゴ美術学校(School of the Art Institute of Chicago)に留学、映画の修士課程を終了。シカゴ留学時代に、アッバス・キアロスタミ、ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤンらの映画に夢中になると同時に、ジョナス・メカス、マヤ・デレン、アンディ・ウォーホルらの実験的な映画と出会い、商業映画とは異なる映画のあり方を知り、個人的な映画をつくることを決意する。1999年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で短編映画『第三世界』が上映され、初めて国際的な映画祭を経験。同年、映画製作会社“キック・ザ・マシーン(Kick the Machine Films)”を設立し、2000年に完成させた初長編『真昼の不思議な物体』が2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティション優秀賞、NETPAC特別賞を受賞。また、この処女作から本作まで、すべての長編が東京フィルメックスで上映され、最優秀作品賞も2度獲得し、日本とは縁が深い。カンヌ国際映画祭でも常連で、2002年の『ブリスフリー・ユアーズ』がある視点賞、2004年の『トロピカル・マラディ』は審査員賞を受賞して、2008年にはコンペティション部門の審査員を務める。そして、ついに本作が2010年のパルムドール(最高賞)に輝き、日本では初の劇場公開作となる。また、映画監督として以外にも、自作の短編映画を友人のギャラリーで発表したことがきっかけとなり、アートの分野でも世界的に活躍している。日本においては、2008年1月 に、SCAI THE BATHHOUSEにて初の個展を開催、2011年1月末まで東京都現代美術館で開催中の「東京アートミーティング トランスフォーメーション」展にも映像インスタレーションを出品。
1999 | 映画製作会社キック・ザ・マシーン(Kick the Machine Films)設立 |
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2005 | タイ王国文化省よりSilpatorn 芸術賞を受賞 |
2008 | フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章受章 カーネギー・インターナショナル ファイン・プライズ受賞 |
2009 | ヒューゴ・ボス賞ノミネート |
2010 | 『ブンミおじさんの森』でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞 アジア・アート・アワード受賞 |
2000 | 真昼の不思議な物体(Mysterious Object at Noon) 山形国際ドキュメンタリー映画祭 インターナショナル・コンペティション優秀賞&NETPAC特別賞受賞 全州国際映画祭 グランプリ受賞 |
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2002 | ブリスフリー・ユアーズ(Blissfully Yours) カンヌ国際映画祭 ある視点賞 東京フィルメックス映画祭 最優秀作品賞 テサロニキ映画祭 グランプリ ロッテルダム国際映画祭 KNF賞 シンガポール国際映画祭 Young Cinema Award ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭 監督賞&国際批評家連盟賞 |
2003 | アイアン・プッシーの大冒険(The Adventure of Iron Pussy) *共同監督:マイケル・シャオワナーサイ |
2004 | トロピカル・マラディ(Tropical Malady) カンヌ国際映画祭 審査員賞 東京フィルメックス映画祭 最優秀作品賞 インディアナポリス国際映画祭 審査員特別賞 サンパウロ国際映画祭 批評家賞 トリノ レズビアン&ゲイ フィルム・フェスティバル グランプリ カイエ・デュ・シネマ2004年ベスト1 |
2006 | 世紀の光(Syndromes and a Century) ベネチア国際映画祭 コンペティション部門出品 アジアン・フィルム・アワード 監督賞ノミネート |
2010 | ブンミおじさんの森 カンヌ国際映画祭 パルムドール |
── この作品には原作があり、モデルとなった人物がいると聞きました。その出会いについて教えてください。
まず「前世を思い出せる男」という小さな冊子を手にしたのがはじまりです。それは、実在のブンミおじさんがいくつかの前世を送ってきたという内容の本で、非常に魅力的なものでした。ただ、最初はCGを使わなければ視覚化できないのではと思い、途方に暮れていたんですね。ところが、2007年にタイ東北部を旅した時、ブンミおじさんは必ずタイ東北部で生まれ変わり、おまけにタイ東北部は私が育った場所だと気づいたんです。それで、タイ東北部に着目した映画を作ったらおもしろいだろうなと思ったんですね。原作に拘泥せず、転生をインスピレーションにして映画を作ろうと。すると、自分のさまざまな記憶――幼少期からの映画やTVドラマの記憶、育ってきた風景、父親との思い出などが入り込んできて、ブンミおじさんというよりアピチャッポンおじさんとでも言うべき映画ができあがったんです(笑)
── この作品の大きなテーマの一つには「トランスフォーメーション(変容)」があります。なぜそのようなテーマを選んだのでしょうか?
おそらくそれは、長年にわたり故郷の変化を見てきたことから生まれたテーマだと思います。タイでは開発という名のもと、非常に速いスピードで風景が変貌を遂げています、醜いかたちへ。同時に、タイという国が政治的に大きな動乱の時代を経てきたこと、自分自身も年とともに変化してきたことを考えました。私はこの映画を失われゆく過去へのオマージュとして作ったんです。それは、愛するものが消えていく悲しさでもあり、自分にはコントロールできない事態が起きている憤りでもあります。入り混じった感情です。それらの複雑な感情を映画で描き出すのはとても困難でしたが、抽象化しすぎると美術館に展示されたインスタレーションのようになってしまうので、物語の流れに変換していくことをなによりも考えました。
── 本作では、人間と動物、植物が現世と前世でつながっていて、現世においてもそれらが境界を持たずに共存しています。それは自身の思想がそのまま表現されたものですか?
そのような考え方はタイ、あるいはアジアで育った人間が自然に身につけている世界観だと思います。例えば、“徳を積むと次の世で報われる”というのは、日常的に使用する表現ですよね。ただ、私が転生を100%信じているかといえば、実はそうではないんです。心の問題を科学的に証明するツールはまだ存在していないので、その確実性を言うことはできません。しかし、人は死んだ後、物質的になくなるわけではありませんね? 塵など他の物質に変わるわけだから、人間の身体が宇宙のリサイクルの輪の中に取り込まれていることは間違いないと思うんです。
── 自由で幻想的な作品だと思いました。象徴的なのは人間と死者、精霊が同じ食卓を囲む冒頭のシーンですが、どうやってあのように斬新な場面を生み出したのでしょうか?
ただ自分の記憶を再構築しただけです。生きている者と死者との共存は、昔のタイの小説ではよく描かれていたことです。そこでは、亡くなった妻が帰ってきて、愛する夫のために料理を作ったり、時には愛を交わしたりすることがありました。だから、食卓に座っている人たちは驚きますが、ショックを受けて怖がったりすることはありません。これは自分の中にあるファンタジーの世界を表出したものなので、ファンタジーであることは確かです。もし食卓に幽霊が現れたら、自分は逃げてしまうクチですが(笑)
── ひょっとしたら、監督が考えるファンタジーの定義は独特なものなのかもしれません。作品からは、ファンタジーは日常に隣接したものだという監督の考えがうかがえますが。
そうですね。ファンタジーや奇跡は、生活と一体化した重要な要素なんです。なぜそれが起きたのか、説明がつかない瞬間は日常的によくあることだと思います。そういう瞬間に出会うと、私は本当にうれしくなるんです。例えば、最近自宅の近くで目撃したことなのですが、ある夕方、犬が後ろ向きで走っているのを見てしまったんです(笑)。それは、まるで映画が逆回転しているような、すばらしい瞬間でした。そのようなことは、映画について考える手助けになってくれます。そして、ファンタジーは人生の美しさ、命の美しさと隣接して存在していることを実感させてくれるんです
── そのような美しさを、映像と音を通じて感じることができます。映像、音に関して、特に大事にしたのはどんな点ですか?
すべてです(笑)。私は映画作りのすべての過程が重要だと思っています。アイディアをスケッチしたり、コンセプトを考えたり、俳優やロケ地を探したり、それらすべてが私にとっては楽しい過程です。だから人には委ねないようにしているんです。映画作りをすることで、かつてあんなに内向的だった人間が多くの人と出会うことができました。そんな人生を送ることができて、本当に幸せだと思っています。そのような喜びが、確かに映像と音の中に宿っていると思います。
── これまでの作品より親密でキュートな作品だと思いました。各国の観客の反応もこれまでと異なるのではないでしょうか?
過去の映画より一般性が高いという感触を受けます。メールで感想や解釈を送ってくれる人がいますが、“これはコメディだ”“ドラマだ”“政治映画だ”と、さまざまな反応があるんですね。それは何かを感じ取ってくれていることの表明だと思います。私自身は今まで通りパーソナルな映画を作っているつもりでしたが、ひょっとしたら過去を題材にしているので、過去の時代が持つシンプルさや、子供時代のイノセンスがこの映画に盛り込まれているのかもしれません。
── 長編デビューから10年を迎えましたが、自身の変化はどんなところにあると思いますか?
この10年で、時間の重みのようなものを実感するようになりました。2000年の長編第1作『真昼の不思議な物体』は、たった5人のクルーで目的もなく旅をしながら撮影していくという、非常にワイルドな撮影スタイルでした。あんなことはもう二度とできません。かつては映画を神格化して考えていました。そして、ストイックなルールを自分に課していました。例えば『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)では、客観的な視点を貫くことを自分に要求していたんです。でも、今は映画作りをやめて農業をして暮らすという方向転換をしても、同じように幸せに生きていける気がしています。だから、最近の映画はよりリラックスした雰囲気で作れているのかもしれません。私も老人になったんです(笑)
インタビュー&文:門間雄介
2010.11.30 東京・渋谷にて