監督
監督・原案・脚本:マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
1950年、ミラノ生まれ。
処女作『Maledetti, vi Amerò(呪われた者たちを愛す)』が1980年のロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞。その後も戦後イタリアの現代史に題材を取りながら、同時にみずみずしく豊かな映像表現で、単なる政治映画とは一線を画した、人間的な秀作、傑作を生み出している。1995年に発表した『Pasolini, un delitto italiano(パゾリーニ、イタリアの犯罪)』は、パゾリーニ暗殺事件に迫り、その真実を世に問うた問題作。2000年の傑作『ペッピーノの百歩』はベネチア国際映画祭はじめ多数の映画祭で絶賛された。2003年の『輝ける青春』は1966年から2003年にいたる37年間のイタリア現代史を一つの家族の姿を通して描いた6時間余の大河ドラマで、当初各1時間半の4回シリーズのTVドラマとして企画されたが、最終的に劇場公開映画として完成させ、カンヌ国際映画祭ある視点部門で最優秀賞を受賞。興行的にも世界中で記録的な成功をおさめた。
主な監督作品
1980 Maledetti, vi Amerò
1981 La Caduta degli Angeli Ribelli
1988 Appuntamento a Liverpool
1991 夜ごとの夢/イタリア幻想譚 *オムニバス、第三話「炎の中の雪」を監督
1994 L'Unico Paese al Mondo(短編)
1995 Pasolini, un delitto italiano
1996 Scarpette bianche
1997 La rovina della patria
2000 ペッピーノの百歩
2003 輝ける青春
2005 13 歳の夏に僕は生まれた
2008 狂った血の女(DVD 発売&TV 放映)
2012 フォンターナ広場―イタリアの陰謀
監督へのインタビュー
—— ある日、若者の一団が、テレビの報道番組でインタビューを受けているのを見た。そのナイーヴな答えから、彼らがフォンターナ広場での出来事について何も知らないことが分かった。何人かは、自分たちは情報通であると胸をはっていたが、フォンターナ広場の事件を“赤い旅団”によるテロであったと言っていた。同じ質問を大人にしたとしても、おそらくは同じような回答だっただろう。イタリアの歴史において決定的な、このきわめて重要な事件について、今や間違った情報が広まっている。
—— 「かすむ霧、月のない夜、すべての牛は闇に溶ける」。
誤った情報とは、隠し通された一つの「秘密」に起因するのではなく、それはむしろ、その膨大な量のデータが混乱し、互いを隠してしまっていることから生まれるのだ。事件についての文献も、時とともに測り知れないほど大量に出版され、パズルにピースを加え続け、この事件の暗い闇に若干の光があてられた。しかし、逆説的に、一般的な感覚で捉えれば、その絵は、いっそう複雑に難しいものになってしまった。 他方、いわゆる「専門家による」調査も、この種の危険を免れているわけではない。
—— しかし、私は映画ならば、(たとえその必要性から簡略化したものを通してさえも)観客の記憶に訴えかけ、あたかも個人的に体験したかのように人々が事件につながり、ピースをつなぎあわせることが可能なのではないかと思った。
—— そのためには、偏見なしに、都合による解釈なしに、フォンターナ広場の恐ろしい物語に関わり、記述することが非常に重要であると考えた。それには、鍵となる出来事を一列に並べること、事実を物語ること、そして、関係する人々の名前をそのまま使うことが重要だった。私はそのために、時の経過が蓄えたすべての情報を調査した。
—— この映画が描くことは、イタリア人だけでなく、世界中の観客にとっても興味があるはずだと信じている。イタリアは常に良かれ悪しかれ(おそらくは「良かれ」より「悪しかれ」だが)、独創的な政治の「実験室」だった。最も想像的で最も広範囲に効果をあげる、権力を守るための技術や装置を、それを世界に輸出する前に試して、洗練させる、魅惑的で残酷な「実験室」、それがイタリアだったからだ。
〈フォンターナ広場爆破事件〉から40年以上が経過した今日、知りたいと願うなら誰もが近づけるものとなった。この事件について語り、扉を開く時がやってきたのだ。
マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ
*オリジナルプレスより抜粋