監督
監督:トニー・ガトリフ Tony Gatlif
1948年生まれ。フランス人の父、ロマの母の間に生まれる。舞台で俳優として活動を始め、75年に初めての映画短編を監督。90年『ガスパール/君と過ごした季節(とき)』がスマッシュヒットし、人気監督となる。2004年の『愛より強い旅』で第57回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞。2009年の『Korkoro』(日本未公開)ではモントリオール世界映画祭最優秀作品賞などを受賞。自身の出自であるロマを題材にした秀作を数多く発表している。自ら作曲も手掛けるなど音楽の造詣も深く、映像・音楽に秀でた感覚を持つ。
■ 主なフィルモグラフィー
1990 ガスパール / 君と過ごした季節(とき)
1993 ラッチョ・ドローム カンヌ国際映画祭ある視点賞
1995 モンド
1997 ガッジョ・ディーロ ロカルノ国際映画祭銀賞、
最優秀女優賞受賞、ヤング審査員賞、
エキュメニカル賞、FICC賞
2000 ヴェンゴ ヴェネチア国際映画祭正式出品
2002 僕のスウィング ベルリン国際映画祭正式出品
2004 愛より強い旅 カンヌ国際映画祭監督賞
2006 トランシルヴァニア カンヌ国際映画祭クロージング作品
2010 Korkoro モントリオール世界映画祭最優秀作品賞
2012 怒れ!憤れ!--ステファン・エセルの遺言
Q.この映画を製作するきっかけは?
A.サルコジ(仏大統領*当時)が、2010年7月30日にグルノーブルで行った移民の人権を差別した発言は、本当に恥ずかしいものだった。この発言に対する反響は全国に広がった。人々はキャンプ場に集まり、異議を申し立てた。パリでは広場を占拠した一団を警察が一掃しようとし、男性一人が死亡する事件が起きた。私には映画をつくる以外に何ができるのか。私にはメッセージを持った映画をつくろうと決意した。
Q.映画は2011年2月に死去したジャン=ポール・ドレに捧げられていますが、それはなぜ?
A.私は、ステファン・エセルの「怒れ!憤れ!」を読んだ時、彼の言う“平和的な暴動”にまったく共感したが、当初は、別の脚本を書くつもりだった。ジャン=ポール・ドレは哲学者であり、エセルと同じ思想を持つ人物で、私は彼と週2回、映画の脚本のための打合せをしていた。それはまだ<INDIGNADOS運動>がおこる前のことだった。ジャン=ポールが死んだとき、私は映画をあきらめようかとも考えたが、エセルの本に立ち戻り、製作を続けることにした。エセル本人、そして出版に関わったシルヴィ・クロスマンやジャンピエール・バルーは、直ちに私に映画化権を許可してくれた。
Q.撮影はどのように行われましたか?
A.<INDIGNADOS運動>がスペインで始まった時、私は緊急に、ごく少ないクルーともに駆けつけた。望遠レンズで遠くからデモの様子を撮影するようなドキュメンタリーを撮るつもりはなかった。しかし、誰もが撮影されることを歓迎する訳ではない。私はまず、<INDIGNADOS運動>のスポークスマンに会い、撮影の許可を得、さらにカメラの前の人々に、撮影の目的や、エセルについて、自分自身について説明した。彼らはすぐにインターネットでエセルや私ことを調べ、そして撮影を受け入れてくれた。
Q.この映画のタイポグラフィは、ゴダールやクリス・マルケルを思い起こさせます。
A.タイポグラフィは<INDIGNADOS運動>がいかに実践されたかという事実から来ている。彼らがプラカードや壁にスローガンを書くように、私はスクリーンにスローガンを書き込みたかった。
Q.オレンジが転がるシーンに目を奪われました。
A.オレンジは、2010年12月17日にチュニジアで焼身自殺をした青果商人モハメド・ブアジジを象徴するものでもある。彼は野菜や果物を乗せた重いカートを引っ張って商売をしていたが、いつかピックアップトラックを買いたいと夢見ていた。カートが道路のでこぼこに引っかかりバランスを崩すと、果実は路上に転がり落ちた。オレンジはどんどんと転がっていく。「貧乏人には生きる権利がない」と発言する者にも、このオレンジを止めることはできないのだ。
※オリジナルプレスより抜粋/Interview by Franck Nouchi