初長編『真昼の不思議な物体』(00)で山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞に輝いたのを皮切りに、『ブリスフリー・ユアーズ』(02)がカンヌ国際映画祭ある視点賞、『トロピカル・マラディ』(04)は同審査員賞、『ブンミおじさんの森』(10)で、ついにパルムドールに輝き、トップクラスの映画作家として注目を集めてきたアピチャッポン・ウィーラセタクン。同時に、ヒューゴ・ボス賞にノミネートされるなど美術作家としても高い評価を受けてきた。2016年は、本作『世紀の光』劇場初公開に始まり、3月には新作『光りの墓』公開、アートの分野でも4/15〜4/17には福岡で参加型映像制作ワークショップ「T.A.P(天神アピチャッポンプロジェクト)」、7/23〜9/25青森県立美術館「青森EARTH2016(仮称)」展に参加(予定)、9/24〜12/11「さいたまトリエンナーレ2016」に参加、10/1〜12/14横浜美術館「BODY/PLAY/POLITICS」展に出品、さらに冬には東京都写真美術館にて個展も予定され、まさにアピチャッポン・イヤーです。
『世紀の光』は2006年の未公開作で、なんともユニークな構成が魅惑的。前半は地方の緑豊かな病院、後半は近代的な白い病院が舞台。登場人物の多くも重なり、医師の恋の芽生えなどのエピソードは2つのパートで反復され、えっ、これは夢?と奇妙な感覚に誘われます。自然の光と人工の光。過去の記憶と未来への慄き。変わりゆく人間と変わらない人間。そして、ラストを飾るのは日本のバンド「NEIL&IRAIZA」のポップソング!心地よくて懐かしく、でも見たことのない映画。 タイの天才が贈る“微笑み”と“驚き”の傑作、それが『世紀の光』です。
AW. はい。これは二重性を探求する構造を使った三作目の映画で、この形式はこれが最後だろうと思っているのですが、「シンドローム」という言葉は、『ブリスフリー・ユアーズ』や『トロピカル・マラディ』にも通じるものです。それは、たとえば恋に落ちるといった人間の行動を指していて、僕はこの言葉に否定的な意味合いは持たせていません。恋に落ちることが病気の一種なら、僕たちは皆この病気にかかっていますよね。「センチュリー」は、僕には、前へ進んでいくという意味合いです。一世紀(センチュリー)は、ほぼ一生涯にあたります。僕は物事が時間の経過とともに変化すること、そして変化しないことに興味があります。人間の営みが不変であると思えるのです。
『ブリスフリー・ユアーズ』は映画についての映画で、僕が映画をどう見ているかについての映画でした。『トロピカル・マラディ』は、より直接的にパーソナルな映画で、自分についての映画でした。そして、『世紀の光』は両親についての映画です。僕はこの映画で、ある到達点に達したと感じていて、それは「センチュリー」という言葉に調和していると感じています。
AW. 僕が育った町はコーンケン(タイ北東部、ラオスの近く)といって、父が亡くなった場所であり、母が今も住んでいる場所です。撮影場所を探すためにそこに戻った時、僕が記憶していた風景や病院の建物は存在していませんでした。過去を再現しようとしても、それは不可能です。子供時代の記憶を呼び覚ますような様々な場所を探して撮影をしました。
AW. 唯一の衝動といえるくらいですよ!すべては記憶の中にあり、映画というものの本質もそこにあると思います。でも記憶を正確に再現しようとしたことはありません。心はカメラのように働く訳ではありませんから。僕にとっての喜びは再現することではなく、記憶の“感覚”を思い出すことなんです。
いとうせいこう(作家・クリエイター)*ツイッターより
坂口恭平(作家/建築家)
蓮沼執太(音楽家)
ホンマタカシ(写真家)
仏・ルモンド紙/Jacques Mandelbaum
カナダ・アイウィークリー紙/Jason Anderson
都市 | 劇場名 | TEL | 公開日 |
---|