『ブンミおじさんの森』でカンヌ映画祭最高賞パルムドールに輝いたタイの天才アピチャッポン・ウィーラセタクン。ティム・バートンやスコセッシをも魅了する世界最先端の映画監督で、同時に、国際的な美術作家。その待望の最新作『光りの墓』は、映像、サウンド、色彩設計、あらゆる面において、天才の進化を感じさせる大傑作。タイの社会状況を透徹しながら、語り口はあくまでもユーモアと優しさに溢れています。
タイ東北部。かつて学校だった病院。“眠り病”の男たちがベッドで眠っている。病院を訪れた女性ジェンは、面会者のいない“眠り病”の青年の世話を見はじめ、眠る男たちの魂と交信する特殊な力を持つ若い女性ケンと知り合う。そして、病院のある場所が、はるか昔に王様の墓だったと知り、眠り病に関係があると気づく。青年はやがて目を覚ますが……。あなたは眠っていたいですか、それとも目を開きますか?
撮影が行われたのは監督の故郷である、タイ東北部イサーン地方。そこでは今も、空や水や雲にも霊が宿り、人々はスピリチュアルな空気の中で生きている。映画では、その土地の記憶とジェンという一人の女性の愛の記憶が幾層にも重なっていく。そして、驚くほどに深い感動が待つラスト! 天才監督アピチャッポン史上最高の傑作の誕生です。
AW(アピチャッポン・ウィーラセタクン).この映画は、僕が子供の頃に知っていた古い霊を探すものです。僕の両親は医者で、家族で病院の居住区の一角に住んでいました。僕の世界は、母が働いている病棟、住んでいた木の家、学校、そして映画館でした。この映画にはそれらの場所が溶け合っています。故郷を離れてかれこれ20年になります。町は大きく変わりました。久しぶりに町に戻ったとき、僕が見ていたのは、新しいビル群に重ねた古い記憶でした。でもたったひとつ、お気に入りの場所だったコーンケン湖だけは変わっていませんでした。
AW.僕にとって、聴診器で心臓の鼓動を聴いたり、光をあてて拡大鏡でものを見たりすることは、すでに魔法でした。ごくまれにですが、顕微鏡も覗かせてもらえたんですよ。もうひとつのドキドキするような記憶は、コーンケンの町にあったアメリカン・インスティテュートで16ミリ映画を見たことです。当時、アメリカは共産主義に対抗するために、東北部に拠点を持っていたんです。白黒映画の『キングコング』やたくさんの映画を覚えています。映画と医療器具は、子供時代の僕にとって最高の発明品でした。
AW.3年ほど前、北部の病院についてのニュース記事がありました。その病院では、謎めいた病気にかかった40人の兵士が隔離されていました。その話に僕が育ったコーンケンの病院と学校のイメージを重ねました。この3年間、タイの政治状況は行き詰まった状況でした(今に至るまでですが)。僕は、眠ることに魅了され、夢を書き留めることに熱中しました。それは、現実のひどい状況から逃げる方法だったんだと思います。
AW.脳科学に関する、ある記事を読んだんです。光によって脳細胞を操作し、特定の記憶を甦らせようとしていたMITの教授の話です。彼は、ある種の反デカルト主義の発見は、精神と肉体が個別の実存であることを示すと言っていました。この仮説は、瞑想は生物学的プロセス以上の何でもないという私の考え方と整合しました。眠ることと記憶は、常に侵入しあっています。もしも僕が医者だったら、細胞レベルでの光の効果によって、眠り病を治療すると思います。この映画の光は、そんなアイディアを曖昧にですが反映したものです。そして光は眠り病の兵士たちだけでなく、観客にも影響するのです。
AW.イサーンは、かつてカンボジアとラオスという異なる帝国から成り立っていて、それは、バンコクが東北部の権限を掌握し、統一化(またはタイ化)するまで続いていました。僕の家族は、僕が生まれる数年前にバンコクからイサーンに移りました。イサーンは、乾燥地域で、(バンコクがある)中央平原のように恵まれた場所ではありません。しかし、僕にとっては、クメールのアニミズムを伝える、とてもカラフルな場所です。イサーンの人々は、日常生活に生きているだけでなく、スピリチュアルな世界にも生きています。そこでは、単純な事柄が魔法になるのです。
AW.ミゲル・ゴメスが、彼の信じられないくらい長い映画(『アラビアン・ナイト』)を作るために、僕のいつもの撮影監督(サヨムプー・ムックディプローム)をポルトガルに連れて行ってしまったんです。ミゲル・ゴメスは、現代最高の監督の一人ですから、もちろん僕は彼のためを思い、とても幸せでした。でも、正直、困りました。それで、色々な人に尋ねたところ、カルロス・レイガダスが、彼が次の映画で仕事をしようとしていたディエゴを僕に紹介してくれたんです。もしかしたら、カルロスは僕をモルモットにしたのかもしれませんね!とにかく、ディエゴとの仕事は、とても幸せなものでした。ディエゴについて僕が称賛したいのは、なによりも彼のパーソナリティです。素晴らしい才能の持ち主である上に、彼はとても穏やかなんです。僕は、現場で叫んだりする人間が好きではありません。すべての撮影クルーが彼を愛しています。ほんの数日仕事をしただけで、もう長い間、彼と仕事をしてきたように感じました。この映画で、僕は自然光を大切にして、メランコリックな影を表現したいと考えていました。彼は鮮やかにそれを実現してくれました。
AW.僕にとってこの映画が面白く思えるのは、僕たちは、現実を知覚する周波数が個人によって異なることがあり得るということだと思うのです。たとえば「宮殿」というものを想像するとき、それぞれの人のそれまでの経験によって、その時の想像の中で観えてくる「宮殿」が違う。そんな、これを観るそれぞれの人の経験によって違う何かをこの映画がもたらすことができたならば、僕は非常にうれしい。 ふたりの女性がただそこを歩いているだけで、どれだけのことができるか、どれだけそれを観る人の想像力を掻き立てることができるか、ということを思いながら、非常に楽しみながら撮影をして編集をしたシーンでした。あのシーンで、どういうイメージを触発させることができるかということがポイントだと思うのです。しかもあの若い女性の方は、男性の言葉を使い、男の演技をしながら案内をするわけです。だから字幕ではなくタイ語で聞きながら観ると、非常にユニークな、タイ人がこれを観ると非常に奇妙な感覚が強調され湧き上がってくる。まるで現実の外に出てしまったかのような感じ。男性の振りをした女性という曖昧さ、現実離れした感覚が、しかし映画に写っているのはごく普通の場面で、普通の女性の姿をした人間がそこにいるという普通さとぶつかり合って、混ざり合ってくるというところが、僕にとって面白い部分でした。
AW.そうです。今の軍政権下における環境というのが、僕が公の場で自分の映画について語ることを不可能にしているのです。僕は自分の仕事を、今の国の空気の中ではシェアできないと思っています。そこには自由がないからです。だからこのような発言をするということは、ひとつの宣言なんです。今この国が行おうとしていることに対して、自分はそれとは違った場所で活動するという立場を表明しているのです。ただ、将来的に国が変わったら、僕の気持ちも変わると思います。
今でも、僕は短編やインスタレーションを制作してはいるのですが、長編の劇映画は長い時間がかかるので、現状では困難なんですよ。
蓮實重彦(映画評論家)
坂口恭平(作家/建築家)
ホンマタカシ(写真家)
コムアイ(水曜日のカンパネラ)
入江悠(映画監督)
山戸結希(映画監督)
最果タヒ(詩人)
小谷元彦(美術家・彫刻家)
長谷川祐子(東京都現代美術館 チーフキュレーター)
保坂健二朗(東京国立近代美術館キュレーター)
椹木野衣(美術批評家、多摩美大教授)
蓮沼執太(音楽家)
いとうせいこう(作家・クリエイター)*ツイッターより
敬称略・順不同