8月20日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開
INTRODUCTION
ダンスがあったから、ギャングにならなかった
全米有数の犯罪多発地域で、公民権運動のキング牧師が暗殺された場所としても知られるテネシー州、メンフィス。そんな闘争の街で育ったチャールズ・ライリー(愛称リル・バック)は、メンフィス発祥のストリートダンス“メンフィス・ジューキン”にのめり込んだ。映画の中で“ジューカー(ジューキンを踊る人)”たちが証言する。「俺たちは人殺しになるより、ダンスがしたい」。
ヨーヨー・マが演奏、スパイク・ジョーンズが投稿した動画で運命を変えた
「ダンスが上手くなりたい」。それだけを願った少年は、やがて奨学金を得てクラシックバレエにも挑戦、ジューキンとバレエを融合させ、名曲「白鳥」(「瀕死の白鳥」)を踊った。その「白鳥」を世界的チェロ奏者ヨーヨー・マが見て、チャリティ・パーティーに彼を招いて共演。そこに偶然、『her/世界でひとつの彼女』の映画監督スパイク・ジョーンズが居合わせ、驚異的なダンスに目を奪われ、携帯で撮影して動画を投稿。その1本の動画が、リル・バックの運命を変えた。 タフな街に育った少年が唯一無二の世界的なダンサーとなり、メンフィスの子供たちの光になるまでの軌跡を描く感動的なドキュメンタリー。
LIL BUCK
リル・バック
Charles ”Lill Buck” Riley
1988年、シカゴに生まれる。8歳でテネシー州メンフィスに転居し、メンフィス発祥のストリート・ダンス“ジューキン”に出会う。その後、奨学金を得てメンフィスのバレエ・カンパニー、ニュー・バレエ・アンサンブルのレッスン生となり、芸術監督の助言でジューキンとバレエを融合させて名曲「白鳥」(「瀕死の白鳥」)を踊る。
2011年、そのダンスが世界的チェロ奏者ヨーヨー・マの目にとまり、ヨーヨー・マの演奏で「白鳥」を踊り、その様子を映画監督スパイク・ジョーンズが携帯で撮影し、YouTubeにアップすると、たちまち評判となり300万ビューを超えた。これを契機に、活躍の場を世界中に広げていく。そのほか、ジャネール・モネイ「Tightrope」のMV、シルク・ドゥ・ソレイユ「マイケル ジャクソン ONE」への出演、マドンナのツアーへの参加、ルイ・ヴィトン財団での公演、ヴェルサーチやナイキとのオリジナルスニーカーのコラボレーション、ユニクロやGAP、AppleのCM出演など多彩な活動を続け、最近ではディズニーの実写映画『くるみ割り人形とねずみの王様』でモーション・キャプチャーを担当、2021年6月からは映画『ブラインドスポッティング』のTVドラマ版にも出演。
近年は社会活動家としての顔も持ち、同じくダンサーのジョン・ブーズとともに、「身体表現を通して世界を変える」ことを目指すMOVEMENT ART IS (M.A.I.)を立ち上げ、ショートフィルムの制作やパフォーマンスの上演に取り組む。
M.A.I.での活動は、Netflixドキュメンタリー・シリーズ「Move -そのステップを紐解く-」でも取り上げられている。現在、NYのジュリアード音楽院のクリエィティブ・アソシエイツも務める。
DIRECTOR
監督インタビュー
はじめてリル・バックに会ったのは、バンジャマン・ミルピエと仕事をしていた時のことです。彼のスタジオを訪れたら、リル・バックとリハーサルをしている最中だったんです。リル・バックはバッハに合わせて踊っていました。

リル・バックと一緒に過ごしていてまず感じるのは、彼がいつも希望を胸に抱いている感じの人間だと言うこと。いつもニコニコ笑みを浮かべていて、そのエネルギーが彼の周りにいる人たちに伝わっている。加えて、何よりもクリエイターだと感じます。毎日何かを創造しようとしている。芸術的なセンスも類がありません 。

製作期間はだいたい4年強かかりました。まずメンフィスに行って地元の人たちと交流したり、リル・バックとも交流したりして1年。2年目は資金集め。3年目からが実際の撮影で2年と6週間かかりました。4年目は編集作業です。

ドキュメンタリー作家にとってアーカイブ映像は宝物のような存在です。今回の場合は、リル・バックの幼少期からの映像がたくさんあったおかげで、今日に到るまでの変遷を語ることができているわけです。また、リル・バックの友人であるマネージャーもたくさんの映像を保管していました。何百時間にもなる映像だったので、彼のストーリーを語るのに効果的な最低限のものに絞り込み、今のようになりました。
映画の登場人物のひとりは、メンフィスという街です。ローラースケート場「クリスタル・パレス」を、全ての創造の源泉の象徴として据えたという意識があります。そこでは皆が円を描くようにしてスケートするのですが、映画の構造自体もそれを意識しました。メンフィスから生まれ出たものが遠くへ行ってまた帰ってくる循環の構造です。僕の頭の中でメンフィスといえば、ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』ですが、意識的か無意識的か、僕の映画のメンフィスにもその雰囲気が出ているかもしれませんね。ゴーストタウンでありながら、一種独特のエネルギーを放っている。クラブのライトの色とか、だだっ広さとか。メンフィスのストリートを繋げて、アフロアメリカンの文化がジューキンなどを生み出したんだとマントラのように唱えたいと思っていました。

今回の撮影にはステディカムを使いましたが、あまりスムーズになりすぎるのもよくない、ラフさや脆さも出したかったので、ハンディカムで撮ったりもしています。ステディカムでダンスの全体的な動きをしっかり撮るという手法と、足元を超クロースアップで撮る、手を超クロースアップで撮るという手法を混ぜたり、観客の皆さんを飽きさせないように、またダンスの多様な側面を見せようと心がけました。

    SKIPシティ国際Dシネマ映画祭ZOOMインタビューより抜粋
    (インタビュアー : プログラミングディレクター長谷川敏行)
監督:ルイ・ウォレカン
Louis Wallecan
PROFILE
フランスで哲学と音楽学を学ぶ。映画プロデューサー、フランソワ・デュプラのアシスタントとしてキャリアを始め、クラシック音楽に関するドキュメンタリー作品などを数々手がける。2012年には、イタリア人指揮者を追い、ロベルト・アラーニャやマーティン・スコセッシも出演したニューヨークのイタリア移民コミュニティとオペラの関係を描くドキュメンタリー映画『Little Opera』を発表。2014年にはパリ・オペラ座の芸術監督に就任したばかりのバンジャマン・ミルピエのロサンジェルスでの活動を記録した『Dancing is Living : Benjamin Millepied』を発表。その作品に出演したリル・バックと知り合った。両作品とも多数の映画祭で上映され、高く評価された。本作は、『Little Opera』で始まったアメリカのオペラやダンスに関する3部作プロジェクトの締めくくりとなる。
INTERNATIONAL ARTIST
ヨーヨー・マ
Yo-Yo Ma
PROFILE
1955年フランス、パリ生まれ。世界的チェロ奏者。父は中国寧波生まれの指揮者・作曲家、母は香港出身の声楽家。60年にニューヨークに移住、5歳でリサイタルを開き、7歳の時にはジョン・F・ケネディの前で演奏した。ジュリアード音楽院でシュタルケルに師事。1972年に16歳でハーバード大学に入学し、人類学の学位を取得。世界中のオーケストラとの共演だけでなく、ジャンル問わず多くのアーティストと共演し、1997年のアルバム『ヨーヨー・マ プレイズ・ピアソラ』は日本で35万枚を売り上げた。2010年、バラク・オバマより大統領自由勲章を授与される。2019年には、国境地帯にあるアメリカ・テキサス州ラレド市とメキシコ・ヌエボラレド市を繋ぐ橋の前でバッハの「無伴奏チェロ組曲第一番」を演奏した。
スパイク・ジョーンズ
Spike Jonze
PROFILE
1969年アメリカ、メリーランド州ロックビル生まれ。映画監督・脚本家・プロデューサー・俳優。高校卒業後LAに移り、スケートボードの撮影を始める。GAPやアディダスなどのCM演出を経て、ミュージック・ビデオを演出するようになる。ビョーク、ビースティ・ボーイズ、テネイシャスD、ケミカル・ブラザーズ、ファーサイド等のMVを多数手がける。クリストファー・ウォーケンを起用したファットボーイ・スリムの「Weapon of Choice」のPVは2001年MTVミュージック・ビデオ・アワード、グラミー賞短編ミュージック・ビデオ賞を受賞。長編映画監督デビューは1999年の『マルコヴィッチの穴』でアカデミー監督賞候補となる。続く『アダプテーション』(2002)ではベルリン国際映画祭銀熊賞受賞、モーリス・センダック原作『かいじゅうたちのいるところ』(2009)の後、SF恋愛映画『her/世界でひとつの彼女』(2013)でアカデミー脚本賞を受賞。
バンジャマン・ミルピエ
Benjamin Millepied
PROFILE
1977年フランス、ボルドー生まれ。ダンサー・振付師。少年時代をセネガルで過ごす。13歳でリヨン国立高等音楽・舞踊学校に入学し、奨学金を得て1993年スクール・オブ・アメリカン・バレエ(SAB)へ。1994年にローザンヌ国際バレエコンクールでキャッシュプライズを受賞。1995年にニューヨーク・シティ・バレエに加わり、1998年にソリストに昇進、2002年にプリンシパルとなる。並行して、2001年に振付師デビュー。アメリカン・バレエ・シアター、メトロポリタン歌劇場、パリ・オペラ座などのために多くの作品を提供。2007年フランスの芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2010年、妻であるナタリー・ポートマンが主演し、ダーレン・アロノフスキーが監督した『ブラック・スワン』の振付を手がけ、アカデミー賞作品賞を含む5部門にノミネートされる。2011年にニューヨーク・シティ・バレエを退団。2014年LAでクリエイター集団「L.A.ダンス・プロジェクト」を設立。同年パリ・オペラ座の芸術監督に就任したが、1年半で退任。オペラ座時代はドキュメンタリー映画『ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男』(2015)、『新世紀、パリ・オペラ座』(2017)に記録されている。